** ある錬金術師の物語 **
  • 蒼の天蓋 05
  • [目次] [前頁] [次頁]

     エルディンの二の腕は黙ったままひどく控えめに差し出された。  
    「どうも……ありがとうごさいます」  
     そっと指の先だけを腕にかけてジルベルは立ち上がり、白いローブの足回りをせっせと払う。
     もう、ふらつくこともなく、辛そうな様子もない。そう確認すると、エルディンは先頭にたってさっさと歩き出した。
     古びた神殿の中は外と同じようにさびれて薄暗く閑散としている。普通の観光客ならば、そこまででひき返してしまうことだろう。だが、エルディンは迷いない足取りを貫く。
     だだっ広いだけの公会堂を抜け、石畳しかない回廊を抜ける。辺りには常に四人の靴音と崖下をうつわずかな波の音が響きと、外と隔絶された冷ややかな空気が漂っていた。
     とうとう突きあたりにまで達する。奥の壁一面には立派な彫刻がなされていた。それもたいそう古ぼけてすすけ辛うじて原型が分かる程度だ。盛り上がった一部を指でなぞるだけで、積もったほこりと共にもろく崩れた石の微細なかけらが降りおちる。  
    「どうかしましたか、ジルさん?」  
     エマリーがジルベルに倣って壁に顔を近寄せた。壁の向こうをのぞきこむような姿勢だが、当然、何が見えるわけでもない。
     不思議そうに顔をあげて見れば、ジルベルもまた首をかしげている。  
    「この壁……」
    「え?」
    「いえ、それよりも……」  
     ジルベルは近づきすぎた壁際から数歩しりぞいて、今度は壁全体を眺めやった。
     広さだけは十分にある壁面いっぱいに刻まれたのは、海。その上を二匹の聖獣はその長大な身体を互いに絡ませながら、ゆったりと渡っている。  
    「これがリヴァイアサン。それもただのリヴァイアサンではありませんわ」  
     ジルベルは細い指をあごにあて静かに目を伏せた。創世の伝承をまぶたの裏に思い描く。

     ──水の守護者、聖なる獣──
     かつて、光と水から一対の獣が生まれた。堅いうろこを二重にしきつめた全身を長くのばし、その振動で世界の水が波打ちはじめる。
     朝日のように輝く眼で遠く世界をみはるかし、無数の牙の隙間から炎を吹き上げた。
     力強く美しく、この世界でもっとも強いものとなった彼らは、同時に生まれたあらゆる水の生物たちの王となる。
     そうして、雄のハルワタート、雌のアムルタート。二匹は永らく世界の水を治めた……。  

    「……というような、お話を聞いたことはございませんこと?」  
     ジルベルに微笑みかけられて、エマリーとダグレイは小刻みに首を横に振る。
     それは困りましたねとでも言うように少しばかり首を傾げると、ふと、エルディンが自分の背後に鋭い視線を定めていることに気づく。
     何事だろうかとジルベルも首だけをひねって振りかえって見た。  
    「いや、さすがは我が大国フィールデンですな。当神殿の外に、これほどの学識をお持ちの方がいらっしゃるとは……」  
     薄暗がりの中から、しわがれた声とともに小柄な人影がゆっくりと近づいていた。着衣から神官の、それも高位の者と一目で分かった。
     その老年の男は穏やかな笑みを浮かべながらも、ジルベルにはどこか厳しい視線を向けている。  
    「私はフィールデン王国守護騎士隊、隊長エルディンだ。失礼だが貴公が大司教殿か?」
    「いえ、私は大司教代理のスリガンと申す者。ご案内のために参りましたが……そちらの娘さん方は……?」  
     守護騎士隊と一目で分かるダグレイは一瞥して素通りし、エマリーを眺め、ジルベルはさらにじっくりと見た。
     明らかに猜疑的な視線を向けるスリガンを、エルディンが見下ろす。  
    「スリガン殿、急なことで申し訳ないとは思う。が、今回の件に関しては我ら騎士よりもこの者たちの方が役に立つかもしれぬ」
    「と、申されますと?」
    「神殿の前でたった今、リヴァイアサンに遭遇した……らしい」
    「なんと!」  
     老神官は細い目を精いっぱい見開く。  
    「し、しかし、信用できますでしょうか?」
    「一切の責は私が負う。そのようにとり計らって頂きたい」
    「は、はぁ……」
     スリガンは小さく頷いた。素直にというよりも、そうせざるを得ないといったていで。  
    「ルイーダの錬金術師、ジルベルとエマリー。部下のダグレイだ。よろしく頼む」
    「錬金術師殿ですか……承知いたしました。では、お渡ししてある玉をこちらへ頂けますかな?」
     錬金術師と聞いてまた少し疑わしそうに眉根に浮かんだしわを、スリガンは慌てて消して人のよさそうな笑みにすりかえる。
     気づいたのか気づかないのか、エルディンは相変わらずの厳しい顔つきで藍色の布包みをとりだし、中から小さな玉を手にした。
     スリガンの指し示す壁の彫刻の一部にあてがうと、ピタリと窪みにはまる。  
    「あ、壁が!!」  
     エマリーが思わず驚きの声をあげてしまったのも無理はない。
     ズズッという重たい響きを頼りに周囲を見回せば、彫刻の壁ではなくその側面の壁に細い空間が口を開けており、向こうから柔らかな光がもれているではないか。  
    「皆様、どうぞ奥へ」  
     老神官は何のためらいもなく、その空間へと姿を消した。  
    「行くぞ」  
     まずエルディンの姿が廊下から消えた。ジルベル、エマリー、ダグレイの順に続く。
     人が一人ようやく通れる程度の隙間をくぐると、そこは別世界。
     欠け一つなく……それどころか塵一つなく磨き抜かれた石畳の床。決して華美ではないものの、明らかに上質な品物と分かる壁面の装飾品の数々。 ふり返れば、表側とは大違いにツヤさえ浮かべる扉の同じ柄のレリーフが明々と浮かび上がる。
     そのまま用心深く沈黙を守るスリガンの後ろを、四人もまた黙って続く。それぞれの無言を抱えて。
     通された部屋はまったく辺鄙なところにあった。明らかに普通の客室ではなく、密談用といったところだろう。窓もなく他の部屋とも離れている。  
    「ことの発端は半月ほど前のことです……」  
     全員が席に落ち着くと、ためらいがちに老神官はそう話を切り出した。  
    「この神殿の大司教が突然の病を患いましてな。ある朝、何の前触れもなくお倒れになって以来、今もって目をお覚ましになられません。信頼の置ける医師や薬師にも診ていただいたのですがまったく原因不明で、日に日に衰弱なさっていく一方なのでございます」  
     鎮痛な面持ちでスリガンは黙り込んだ。代わってエルディンが口を開いた。  
    「その後、アズフェン周辺に怪事が続いている。異常気象、魔獣の凶暴化。公開されてはいないが遭難や沈没も頻発し、港への船の乗り入れも危険な状態になりつつあるのだ」
    「……恐らくは、 『 水神の珠 』 を失ったせいでしょう」  
     付け加えて言いながら、スリガンはしわ深い顔をますますしかめた。
     見習ったわけではないだろうが、エルディンの眉間にも深いしわが刻まれる。  
    「その話は初耳だが?」
    「ええ、この事が分かったがために、どうしてもとお願いして騎士殿にご足労願ったのでございます。何としても取り戻して頂きたく……!」
    「詳しい話を聞かせて頂きたい。『 水神の珠 』 とは何だ?」
    「正直に申し上げて分かりません。それが一体どういうものであるのか、何のためにあるのかという事は、大司教にのみ伝えられる口伝なのでございます。ですから普段は神殿の奥深く……大司教だけが出入りを許された祠に納められ、管理されていたはずなのです」
    「その 『 水神の珠 』 とやらが無くなったのか?」
    「……先日、数名の司教らが立会いの下、ご病気の大司教に代わりまして祠を開帳いたしましたところ……中には何もございませんでした。我々も出来うる限り手を尽くしてみたのですが、見つかりませんでした……」  
     しばしうな垂れていたスリガンだが、突然に白髪頭を机にこすりつけるように頭を下げた。
    「お願いでございます。何とぞ、何とぞ……騎士殿のお力で失せものの行方を探して頂きたい! お願い致します!!」
     老神官の哀願の声に、エルディンは片眉をピクリと動かし、じっと耳を傾けていた他の三人は顔を見合わせるしかない。
     しばらく重苦しい沈黙が続き、ふと顔を上げたスリガンが慌てて立ち上がる。
     遠路はるばる訪ねてくれた客人にお茶の一杯も出していなかったと、不手際を詫びつつ部屋を去っていった。  
    「盗まれたモノを探す呪具なんてないよな……?」  
     スリガンが遠ざかったのを確認してようやく口を開いたダグレイに、ジルベルはニッコリと微笑んだ。  
    「モノを探す呪具ならば無くもありませんけれど、手の平に載るぐらいの大きさとしか手がかりが無い状態ではさすがに難しゅうございますわね」
    「だよなぁ。どっから手をつけりゃいいんだか……」  
     ため息をついて髪をかきむしるような仕草のダグレイに、ジルベルは細い指先をあごにあてながら目を細める。  
    「心当たりがまったく無いわけではありませんけど……」
    「ええっ!?」  
     ダグレイとエマリーが同じ言葉を共有した。
     二人の前ではジルベルが一生懸命に記憶を手繰り寄せている。  
    「確か、リヴァイアサンを操る呪具がかつて存在したはずですわ。当てがあるとすれば、恐らくその関係のものだと思いますけれど、それ以上のことは何とも言えませんわね」
    「じゃあ、 『 水神の珠 』 って呪具なんですか? だったら、合成法が分かれば……」
    「わたくしもどこかでそういう記述を目にしただけですし、実在のものかどうか。それに、万が一、合成法が分かったとして、現在の魔道や錬金術で合成できるかどうか……まあ、九割がた合成はできないと思いますわ」
    「それは……確かに……」
    「だが、可能性はあるのだな?」
     錬金術師たちの話に加わったエルディンの声色は厳しい。
    「いいえ。エルディン様。同じモノを作り出せる可能性はないと思って頂いた方が賢明でございますわ。ただ、それがどういうモノか──例えば、形だとか色だとかが分かれば、探索の役に立つとは思いますけれど」
    「確かにその通りだ」
     仮に 『 水神の珠 』 の盗人を捕らえたとしても、取り戻したモノが本物であるかを確かめる術さえないのではどうしようもない。
     ジルベルの回答に納得した後のエルディンの行動は、的確でかつ断固たるものだった。
     お茶を運んできたスリガンに、早速、神殿に残るあらゆる文献の閲覧の許可をとりつけた。会ったばかりの怪しいと思われる錬金術師の閲覧には多少しぶったものの、結局はその承諾も得ることに成功した。
     資料庫へと案内される前にダグレイにはアズフェンの街に戻るようにと指示する。
    「この地の騎士のみならず警備隊や自警団の者たちにも命じ、アズフェンのここ一月の状況を調べてまとめさせよ。ささいな噂話でも構わん。人、物、何でもいい。自らの判断には委ねず、あらゆる仔細を提出させよ」
    「は」  
     隊長は? などと聞き返したりする事もなく、ダグレイはあっさりと街へ引き返していった。
    「では、どうぞこちらに」
     残された三人は入り組んだ神殿の中を歩き、また重そうな扉の前に導かれる。
     気分転換でやってきたアズフェンの街、到着二日目にしてとんだことに巻き込まれたことを悟り、ジルベルとエマリーは何とも言えない苦笑で顔を見合わせるのだった。
    [目次] [前頁] [次頁]