** ある錬金術師の物語 **
  • 蒼の天蓋 02
  • [目次] [前頁] [次頁]

     まだ春浅い麗らかな午後、ジルベルの店には一人の少女が訪れていた。  
    「惚れ薬……でございますか?」
    「ええ。ジルベルさんなら持ってるんじゃないかと……思って……」  
     瞳を期待で輝かせ、頬を赤く染めて、少女は食い入るように目の前のあでやかな女店主を見つめる。
     いく度かの瞬きの後、サラリと白い髪を揺らしジルベルは満面の笑みを浮かべた。
     つられたように少女も笑顔を見せる。だが、すぐさまがっくりと肩を落とす羽目になった。  
    「申し訳ありませんけれど、惚れ薬は置いてございませんわ」
    「じゃあ、作ってください」
    「そのような薬自体ございませんのよ」
    「……本当に?  ほんっとうに?」
    「あいにく、作ったことはおろか、見たことも聞いたこともございませんわ」  
     にっこりと微笑の弧を描いたまま紅い唇はきっぱりと言い放った。
     少女は疑いのまなざしでしげしげとジルベルに見入る。しばらくの間そうして、やがて諦めがついたらしい。  
    「そう……ですか」
    「お役にたてなくて申し訳ありませんわ」
    「いえ、いいんです。それじゃ、失礼します……」  
     シュンとして頭を垂れ、少女は力ない足どりで店を後にする。
     入れ違いにまた別の少女が店に足を踏み入れた。柔らかそうな髪を風の吹くままにさらし、いかにも快活な足取りで。
     立ち去った客の寂しげな後ろ姿をふり返り、また店内に目を戻す。
     薄茶色の大きな瞳には白皙の美女の気だるげな様が映った。湯気のたつカップを片手にジルベルが頬杖をついている。  
    「いらっしゃい、エマリーちゃん。そんな所でどうなさったの? こちらにいらしたら?」
    「はーい。お邪魔しまーす」  
     エマリーはニコニコと、ため息交じりのジルベル向かいの席に腰を下ろす。勝手知ったるというやつだ。
     出迎える方もよく知ったもので、机の上にはすでにもう一つのカップがすでに用意されていた。
     エマリーはお茶の時間を狙ってやって来ることは間違いようもないからだ。
     柔らかい香りのたち昇るカップを両手で包みこむと、目論みどおりとばかりに、エマリーはさっそく美味しそうに喉をならした。
     一息つくなり小さな笑い声をあげる。  
    「それで今度はどんな依頼だったんですか、ジルさん?」
    「惚れ薬ですわ」
    「ぶっっ!!」  
     せっかく口に運んだばかりのお茶をむせ返らせる。  
    「そ、それは、また……。本当に色々ありますねぇ」
    「若返り、毛生え、痩せ薬。本っ当に色々とあるものですわね、人の欲求というものは」  
     これまでに寄せられた突飛な依頼を数え上げながらジルベルは深くため息をついた。エマリーもつられたように乾いた笑いを浮かべる。
     現在、この二人の錬金術師たちは大きな悩みを抱えていた。
     それというのも、森の怪物退治の一件が広く世間に流布してしまったせいである。

    『 大陸にその名も轟く大国フィールデン。その王都ルイーダの目と鼻の先の森に現れた正体不明の魔獣。王国の誇り最強と名高い、守護騎士隊との激闘の末に討ち取られリ。かくして、遥かなる時代より恵み深きユクートの森に訪れた脅威は去り、再び恵みは人々の手に戻された 』

     ──というのが公式の発表だったはずだ。
     ところが、である。  
    「あれほど他言無用です、と申し上げましたのに」  
     ジルベルが形のよい眉をひそめた。なまじ整った顔立ちであるがゆえに、不愉快さがことさら顕わになるようだ。
     対して、エマリーの方は思わず表情を緩めてしまっている。
     知り合ってから一年以上になるが、エマリーの知るジルベルはその大半が微笑だった。微笑みの向こう側を知ることができるようになったのは、命懸けの戦いをしたあの森の夜以来。
     平気で森に一人で採集に出かけるとかいうような信じられない行為を除けば、常に穏やに微笑し謎めいてはいるが大人っぽい異国の腕利きの錬金術師は、普段子供扱いされることの多いエマリーにとって一種の憧れだった。
     が、微笑という仮面がはずれてみれば、口調こそは相変わらず丁寧だがはっきりきっぱりとした物言いをし、しかも思った以上に顔に感情の出やすい人のようで。
     他の人の前では今までどおりの微笑を浮かべているが、その内実は意外にもっと子供っぽい人なのかもしれない。そんな一面を自分には見せてくれることが嬉しい。
     ……などと考えながらにやけた顔に灰色の瞳がチラリと掠め、エマリーは慌てて苦笑にかえた。  
    「ほら、言っちゃ駄目って言われると、かえって言いたくなるもんなんですよ、ジルさん」
    「それにしても、ですわ」
    「ですよねぇ」  
     二人はそれきり黙ってお茶をすする。
     出所は守護騎士隊か、あるいは二人の住むこのルイーダの街の自警団か。
     ここだけの話と切られた口火は人々の優越感という追い風を受けて膨れあがり、瞬く間に燃え広がった。
     詳しく語られていなかっただけに巡り巡って本人達の耳に届くころには、これまで聞いた各人の想像が付与されあらぬ方向へと捻じ曲がっていた。
     希代の天才魔導師の手から成る幻の秘薬を口にして、超人と化した守護騎士隊の英雄伝説へと。
     炎の魔人だとか半人半獣の魔獣だとか、真実と憶測が入り乱れ、聞く分にはなかなかに面白かった。
     問題は、何故かそこだけははっきりと一件に関わった魔道師が異国の女であるという点。ご丁寧に少女が連れ添っていたことまで、まことしやかに伝わっていた。
     守護騎士隊との関わりも手伝って、ジルベルとエマリーの名は容易に連想される。
     あっという間に広まった噂話は、一般の善意と好奇心の客らと共に怪しげな依頼をも引き込んだ。  
    「先程の方のように聞き分けよく帰って下さればよろしいんですけれど、ね」
    「あの時は大変でしたよねぇ……」  
     エマリーとジルベルの溜息が同調する。
     つい数日前、超人伝説を聞きつけた一人の青年がジルベルの元を訪れ、自分にも超人の薬をよこせと迫った。
     どれほどそんな薬はないと説明しても承知せず、居座ること半日。とうとう、エマリーに出動させられた守護騎士ダグレイの手により、無事に連行されて行った。
     が、話によれば未だ諦めていないらしい。鉄格子の向こうで薬の独占について、守護騎士隊にわめき散らしているという。  
    「本当にどうにかならないものですかしら」  
     いかにも煩わしげにさらに険しく眉をひそめ、ジルベルの溜息は尽きない。
     ふと、エマリーが笑顔を浮かべた。にんまりとしか表現のしようのないその表情に不吉な予感を覚える。  
    「ジルさん、実はご相談なんですが!」
    「なんですの?」
    「一緒に旅行に行きませんか?」
    「旅行?」
    「変な人に付きまとわれたり、怪しげな依頼に悩まされてたらおかしくなっちゃいますよ。ね、休暇も兼ねて行きましょう。ね、ねっ!」  
     無意識のうちに立ち上がってまでのエマリーの力説。
     その妙な勢いに一瞬気圧されて、ジルベルは曖昧に頷いてしまっていた。  
    「やった! わーい!!」  
     小躍りするエマリー。 そのあまりにも無邪気な姿にジルベルにも久々の本気の笑顔が浮かんでいた。  
    「ずいぶんな喜びようですこと。もう、何か計画なさってますの?」
    「ずばり、採集旅行です。この辺りでは採れない素材を探しに行きませんか? アズフェンっていう街なんですけど知ってますか?」
    「確か、ここからずっと南の街でしたわよね?」
    「そうです! 港と海岸、小島が点在する海の街アズフェン! どうです、ジルさん。海の素材がわたし達を待ってますよ?」
     なんだかその口ぶりは、街の通りで大げさな身振りで品物をお勧めする威勢のよい露天商のようで、ジルベルは辛うじて噴出しそうになるのをこらえる。
    「で、エマリーちゃんのお目当てはなんですの?」
    「海亀の卵なんでです。アズフェンでは海亀の乱獲を抑制するために、四年に一度しか採っちゃいけないんですよね」
    「今年はその解禁年ということですのね?」
    「ええ。それに良質の塩や色砂や貝紛なんかも、現地の方が断然お買い得ですし!」
     やれ他にも特産の美味しい果物があるだの、やれ新鮮な魚介料理が食べられるだの。
     いかにアズフェンへの旅行が有意義でかつ楽しいものであるかを矢継ぎばやに数え上げ続けるエマリーを、ジルベルは微笑で制した。  
    「分かりましたわ、エマリーちゃん。南の方にはまだ行ったことがありませんし、きっと、色々と楽しいことでしょうね」
    「決まり……ですか!?」
    「アズフェン滞在中に噂話のほとぼりも冷めるでしょうし」
    「一石二鳥です!!」  
     こうしてジルベルの旅立ちは、ある日、突然に決まった。
     思えばルイーダの街に落ち着くまでずっと旅と短い滞在の連続ではあったが、ただ故郷から遠ざかりたい一心で逃げ隠れるように通り過ぎただけ。
     その故郷では研究に没頭した日々がほとんどで、国内といえど移動したと言えば……そう災厄を払いに赴く時だけだったような気がする。
     こんな風に何の気兼ねも憂いもなく、どこかに違うところに行くのはある意味では初めてかもしれない。
     話の始まりによぎった微かな予感のことなどジルベルはすっかり忘れ果て、まだ見ぬ街と旅行というそれ自体への期待に心を弾ませたのだった。
    [目次] [前頁] [次頁]