| [目次] [前章] [次頁] | |
|
港に停泊する一隻の船。裕福な人々が船旅を楽しむために作られた優雅な船が、月光の中で波間に揺れる。 甲板の上には幾つかの人影があった。 「いい月だなぁ」 「そんなのん気なこと言ってねぇで、とっととやれよ」 「わかってるけど、さ」 また月へとかえそうとした視線の先に、激しい抗議の睨みが見える。仕方ないとばかりに小さく吐息をつき甲板へと跪いた。 見習いの若い船乗りが二人、せっせと床板を拭く。 ゆったりとした長い航海の間の久しぶりの停留で、客や船員のほとんどは街へと出払っていた。 当然、彼らとて気持ちはすでに下船している。が、街へ遊びにでるにせよ、眠りにありつくにせよ、この仕事を終わらせねばならない。 「なぁ、あれ……」 「ああ、うるせー。いいから仕事しろって言ってるだろ!」 また、雑巾を持って突っ立ったままの若者に、苛立ちを隠そうともしない怒鳴り声がなげつけられる。 だが、負けてはいられない。 「だって、見ろよ、アレ!」 「なんだってん……だ……よ」 二人は船のヘリを掴みじっと見入った。 静かに波打つ沖の海。柔らかな月の光の中に、くっきりと黒い影が浮かび上がる。 「海竜……かな?」 「バカ、あんなにデカイわけねぇだろっ!」 「じゃ、じゃあ、なんなんだよ、アレ」 長い影がその身をくねらせ、まるで水の上を踊るようにゆったりと浮かんでは消える。 突然、幻想的にも見えたその光景から二人は目を逸らした。同時にすぐさま船の甲板へと身を伏せる。 全身はガタガタと震え、南の街の温もりさえ少しの足しにもならず、背筋が凍った。 どれほどそうしていただろう。 「よ、よせよ……」 「で、でも」 二人は顔を見合わせ、やがて船のヘリから少しずつ顔をのぞかせる。 「…………いない」 再び甲板へと腰をおとした。ホッとしたような、残念のような、何よりもまだ信じがたいという気持ちでいっぱいだ。 「見たよな?」 「ああ、金の眼だった。ずっと、こっちを見てたよ」 「なんで、見えたんだ?」 「分からない。見えたんじゃなくて、感じたのかも」 明らかに二人に向けられた金色の視線。圧倒的なその輝きに射すくめられ、まだ身震いが止まらない。 「忘れよう。そうだ、何も見なかった。あれは幻だ。いいな?」 「で、でも」 「幻だ」 そう言い捨てて若者は、そそくさと船内へと飛び込んだ。 その後ろ姿に残されたもう一人が肩をすくめる。恐ろしいまでの威圧感。けれど、それは悪意や敵意ではなかった、そう思う。 ふと、甲板の上を潮風が吹きぬけ、自分がたった一人であることを思い出させた。 慌てて船内へと走りこもうとした背中に、ふと感じる声なき声。 『 呼べども、呼べども、君は応えず…… 』 振りかえっててみても誰も居るはずもなく、若者は一人。 ただ、寄せる波の音はいつにも増して寂しくもの哀しく、彼の心に響いていった。 | |
| [目次] [前章] [次頁] | |