** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 11
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     気迫のこもった一喝を我知らず吐き出しながら、エルディンとダグレイがグリフォンを斬りつける。
     剣にまとった炎は持ち主の身を傷つけることはなく、黒い敵だけに、煌々と浮かび上がる灼熱を刃とした。
     だが、グリフォンも木偶ではない。相変わらずこの上ない危険を発揮してくれる。  
    「ぐっ、う……」  
     鉤爪の先端がかすっただけで、ダグレイの肩あてが簡単にふっ飛ぶ。
     避けた反動で大地を転げながらグリフォンの巨躯の下にもぐり込み、前肢に刃を突き立てる。頑丈な肉にめり込む感触が手に伝わった。  
    「ダグレイ、後ろだ!」  
     鋭い叫びに反射的に身をよじり、再び、ダグレイは逆側の大地を転がる。
     踏ん張ったグリフォンの後肢をエルディンの炎が穿つ。
     咆哮と共に前肢が風をまといダグレイの上に落下した。  
    「!!」  
     エマリーの何度目かも数えられない悲鳴は、もう声にならない。
     前肢のわずか横で、ダグレイは腹ばいのまま顔だけをあげていた。すぐ真横の苔むした大地は大きくえぐり取られ、湿った土がかき混ぜられている。
     もしエルディンの与えた鋭い痛みにグリフォンの気が削がれていなければ、今ごろダグレイの断片もその中に混じっていたことだろう。
     冷や汗と身震いに苛まれながらも、生命の本能で危険な黒槌から遠ざかった。  
    「無事か?」  
     尋ねるエルディンも、突き立てた剣をひき抜き素早く追撃の肢から身をかわす。
     華麗な剣技を披露する余裕など微塵もない。次々と襲いかかる脅威の隙をつくのがやっとだ。  
     これ程までとは……と歯ぎしりをしたエルディンが、今度は前足の羽毛を散らす。
     グリフォンの速さも膂力も常識外であることは、前回で分かったつもりだったが。しかし、真っ向から対峙してみると、歴然の差が身にしみる。
     手応えはある、手傷も負わせている。それでも現状は、どん底の不利から圧倒的に不利に変わった程度だ。
     もとより、一人で勝てるなどと思い上がっていたわけではない。それでも、死者への手向けに何かせずにはいられなかった。
     だが、もしこの剣を得ていなければ、むざむざ命を落すことしかできなかっただろう。共に冥府へ向かうことしか。
     苛烈な攻撃に微々たる反撃を繰り返しながら、騎士二人の疲労の色はますます強くなる。
     ダグレイが口の中の血を吐き捨てる。あと少し……何か決めてが欲しい。その思いに反応するように炎の刀身が揺れた。  
    「な?」  
     こけつまろびつ巨躯から這い出したダグレイが、不思議そうな表情でどうにか体勢を整える。その姿を目で追いながら、エルディンも交互に剣と炎とを見やった。  
    「炎には定まった型はありませんわ。あるべき炎の姿を思い浮かべて……!」  
     荒れ狂った戦場の片隅に、それは神託にも似た一筋の光明。背後の暗闇の中で、白い影が両の腕の中に苦しげに赤い輝きを抱えていた。
     じっと敵との間合いを見据え、エルディンが声の元をもう顧みることはない。  
    「翼を」  
     エルディンの短い指示に、ダグレイが行動で応える。
     ことさら派手におどり出たエルディンの姿を、グリフォンの目が追う。その肢の死角でダグレイがさっと朱色の剣を突き上げた。  
    「伸びろっ」  
     ダグレイが叫んだ。頭上の高みを覆う黒い翼に向けて、赤い直線が勢いよく伸び進む。
     グリフォンの巨体が斜めに跳ねた。
     翼の根元を貫通する炎の剣に、引きずられるまいとダグレイも踏んばる。が、あまりの体格差を埋めることはできない。  
    「うあっっ」
    「ダグレイ、退け!」  
     エルディンの剣が暴れるグリフォンの右前肢に正確に縫いこまれ、大地へと留め部下の離れる時間を稼ぐ。
     何の前触れもなくグリフォンが動きを止めた。これまで味わったことのない激痛が、身の節々をチリチリと灼いている。
     小さな二本足で動く獣を漠然と狩ってきたグリフォンに、初めて極めて激烈な衝動がわき上がっていた。
     ──明確な殺意──
     彫像のように固まったグリフォンの姿に、言い知れぬ不安がよぎる。
     ダグレイは必死に炎の刃を縮めていた。黒い翼の袖からもう間もなく解放されるというところで、グリフォンの全身が大きくのたうつ。翼が最も高く戦慄いたところで刀身が外れる。
     ダグレイは一時宙を遊泳し、間もなく地に落ちた。  
    「っ痛う……」  
     突然のことで受身に失敗し、したたか背中を強打したダグレイは、息を詰まらせその場に突っ伏したままだ。  
    「ダ、ダグーーっ!!」  
     起き上がらない恋人にエマリーが涙声で呼びかける。
     気持ちは駆け寄ってはいた。しかし現実は、無造作に跳ねる巨体によって木っ端や泥濘が次々と落下し、その場から動けない。
     今、純粋な怒りだけがグリフォンを突き動かしていた。
     辺り一帯から次々に遮蔽物が排除されていく。
     エルディンが決死の覚悟で肢を貫いた剣を押さえ、その点を中心に弧を描くように暴れていた。
     小山のようなグリフォンの巨体と、炎の剣の莫大な力がせめぎあう。
     残された三本の肢は言うに及ばず、頭、尾、翼。およそ動かせるであろう部位の全てを、激しくばたつかせてもがくグリフォン。
     その下でエルディンが、渾身の力で剣を抱えるように跪く。
     暴れるほどに激痛を帯びることにグリフォンが気づく。腹の下にいるはずの獲物に向けて、その力を一点に結集し始めた。  
    「た、隊長……」  
     やっとのことで肘をつき身を起こすダグレイの目に、上へ上へと持ち上がるエルディンの姿が飛び込む。後肢を串刺しにする剣を、エルディンごと大地から引き抜こうとしているのだ。  
    「くっそ……ぉ」  
     一度動きを止めた身体は、疲労と打撲で思うように動かない。
     ダグレイは我が身を呪った。自分から意識がそれた今こそ、グリフォンを討つ好機であるのに。
     なんとか片膝を立て剣を握り直したが、力を込めただけで背中を痛みの筋が走る。
     肩で息をするダグレイの前で、さらにエルディンの身体が浮き上がっていった。
     不意に顔を歪めていたエルディンの目が見開く。  
    「上だ……っっ!!」  
     視線の先では、古木の根元に寄りかかるようにしてジルベルが不安定な身体を支えていた。
     不規則に波打ち続ける激しい風にとうとう幹の一つが音をあげる。今まさにはっきりと不快な音をたて、ジルベルの真上に降りそそごうとしていた。
     緑に押し潰される瞬間、ジルベルの、そしてエルディンの意識は完全に削がれた。
     必死で持ち堪えてきたエルディンの意思は、グリフォンの膂力と執念に屈す。
     握った剣からは炎の衣も消え、剥き出しになった刃は不快な音をたてて鍔元から折れた。
     エルディンの体が宙を舞う。自由をとり戻したグリフォンの肢にすくい上げられ、高く高く舞い、そして急速に落下していった。
     残された三人の目が凍りついたように、その軌跡を呆然と見送る。
     ジルベルは赤い血の筋をあちこちにつけて、どうにか重い幹の下から這い出た。  
    「ほ、炎を、もう、一度……」  
     けれど、言葉とは裏腹に立ち上がることさえできなかった。強大な魔力の翻弄から心ならずも解放されたせいだ。
     その反動は予想以上に大きく、どうにか膝をついた姿勢を保つのが精一杯。  
    「ジルさん、大丈夫ですか!?」
    「まだ……こんなところで……終わらせたりはし……ない」  
     エマリーに答える余裕もなく、ジルベルは無心に息を整える。  
    「隊長を……助け……」  
     剣を杖がわりにしてダグレイがとうとう立ちあがった。視界を遮る黒い壁を気力だけで睨みつける。
     グリフォンは憤怒としか言いようのない形相で人間たちを見下ろす。そのあちこちから、闇色の血が滴っていく。
     不気味なほどの静寂が辺りにひろがる。
     血溜まりに次の雫が注がれた瞬間、グリフォンはおもむろに身を震わせた。空地と化した辺り一帯に飛び散る散る血しぶき。  
    「う……」  
     グリフォンの足元にいたダグレイにたっぷりと黒い雨が降る。
     グリフォンから目を離してはいけない。ねっとりとした生ぬるい血の洗礼から、逃れようとする顔をくいしばる。
     痛みに遠ざかりそうな思考を懸命に回転させていた。  
     どうすればいい? どうすれば……せめて二人だけでも逃がせる?  
     満身創痍という言葉はきっとこの日のために用意されたに違いない。
     痛みに引きずられるままに、目を閉じてしまった方が楽になれる。
     それでも回らない頭でどうしようを連呼するダグレイの耳に、聞きなれた声が届いた。  
    「ダグレイ……剣をよこせ」  
     我が耳を半ば疑いながら、ダグレイは声のする方へと視線を向ける。
     緑をかき分けて、エルディンがいた。まぶたの上や頬、いくつもの赤い筋が頬を縦断している。まだ身体にはりついている鎧は、ゴツゴツと大きく窪んでいた。
     高く遠く放りだされたおかげで、まだヤブの形をとどめた緑のクッションがエルディンを受け止めたのだ。無数の擦り傷と打撲と引き換えに。  
    「隊……長……」  
     ダグレイは声が潤むのを自覚して、慌てて鼻をすすり上げる。
     この頼もしい味方の帰還に、思考回路がめぐり始めた。  
    「ダグレイ……」
    「俺がここを引き受けます。時間を稼ぐ間に二人を連れて逃げてください」
    「それは私の役目だ。剣をよこせ!」
    「俺はもう、まともにここから動けません。だから!」  
     すり切れる寸前の身と心を奮い立たせ、ダグレイは愛用の剣を握りなおした。燃え上がる炎はすでに無く、ボロボロに傷ついた体に鞭を打つ。
     傷ついた身体には守護騎士の鎧すらも重かった。  
    「行って下さい、隊長」
    「…………分かった」  
     ダグレイは小さく笑った。そして、グリフォンを睨み上げる。
     嵐の前の静けさだという事は、誰の目にも明らかだった。
     グリフォンの眼差しは、動けなくなった獲物をいたぶるような残忍なものでしかない。まして死神は悠長でも、慈悲深くもなさそうだ。
     噛みしめた唇から血を流し、エルディンは静かに足を動かす。ジルベルとエマリーに向かって、たった数歩、足を運んだところで空気がゆらぐ。
     黒い血を大地に溜めながらグリフォンは前肢を持ち上げた。
     ダグレイは腰を落とし、グリフォンの動きを見据える。それだけの動作で体のそこかしこが悲鳴をあげていた。
     最期のあがきだ。もう、覚悟は決まっていた。
     グリフォンの懐ろに潜りこもうとした、その時。  
    「いやぁーーっ! ダグーーっっ!!」
    「バカっっ。エマリー来るんじゃねぇーー!!」  
     一番後方で身をすくめていたエマリー。それが髪をふり乱してスカートの裾に足をからませながら、それでも転びもせずまっすぐグリフォンに走る。
     動く獲物にグリフォンの視線が向けられた。
     くしゃくしゃの泣き顔の……にも関わらず勇ましい後ろ姿に、ジルベルが叫ぶ。  
    「エマリーちゃん、石を……その手の 『 楔石 』 を投げて!!」  
     振り向きもせず、エマリーは黒い首飾りを引っつかむ。しゃくりあげながら、全力で黒い壁に向かって投げつけた。  
    「くっそ、馬鹿エマリーめ」  
     エマリーの手から放たれた黒い放物線は、どう見てもグリフォンにまで達しない。
     ダグレイは重い剣を捨てた。危険を承知で敵に背を向け、渾身の力で走った。  
    「っりゃああぁぁぁっ!!」  
     ふらつく身体を気力だけで支え、すべり込むようにして身をひねった。
     絶妙のタイミングで落下してきた黒い石。
     ダグレイは 『 楔石 』 を蹴った。
     弧から直線に軌跡を変えて、石はグリフォンの腹底に飛ぶ。  
     ま、エマリーが無事なら……いいか。そんな言葉がダグレイの脳裏をよぎる。
     もはや、動く力はない。座り込んだまま、頭上高くにあるグリフォンの肢を見ていた。
     ゆっくりと迫り来る死の直前。ダグレイは見た。人生二度目の、黒い雷光を。
     グリフォンの咆哮に大地が共震する。
     前肢をおろしきる前の不自然な姿で止まっていた。呪縛に抗う全身が小刻みに震える。  
    「エルディン様、もう一度!」  
     ジルベルが小さく差し出した手の平の上で炎が踊る。紅く透き通った、見たこともない炎。  
    「頼む」  
     言いながら、すでにエルディンは走っていた。
     使い物にならない柄だけの剣を捨て、かけ抜けざまに部下の捨てた剣を拾いあげる。
     
    『 我が命よ燃えろ 一切を焼き尽くす力となれ 』
     
     ジルベルの紅い唇が音階を紡ぎ出す。
     ふと、涙に濡れたまま立ちつくしていたエマリーの脳裏に、ぼんやりと 『 ヘールンイーブ 』 という言葉が浮かんだ。まだ学生だったころの記憶。遠い昔に失われた古代言語。音階と言葉と術者の魔力によって、強大な力を引き出す魔導言語があったという。
     
    『 汝 炎の剣  ジョフィエルの剣 』
     
     ごく短い冷気のような旋律がはしる。かぶさるようにして、エルディンの口から気迫の息が吐き出された。  
    「は……っぁあああぁぁっっ」  
     彼女ができると言うのなら、きっとできるのだろう。
     信じているというよりも、それに賭ける以外手段はない。ただ、それだけだった。
     腹に全身に残る気力のすべてを溜め込み、斜めに剣を突きだす。
     エルディンの握る鍔元から火柱が立ち上がった。芯の紅い青白い諸刃となって長く長く伸び、とうとう黒い巨躯を貫通する。
     グリフォンが発した一段と鋭い鳴き声に世界が共鳴した。
     凄まじい音の濁流に、エルディンの体が押し戻される。一歩二歩と後ずさった踵に硬いモノがぶつかった。精魂つき果てた部下から剥がれ落ちた甲冑の一部だ。  
    「っぐぅ……はあぁぁっっ!」  
     エルディンと言えど、もはや疲労の極致にある。
     威厳でも誇りでもなく、最後に残ったのは戦士の意地だけ。負けたくないという本能だけで、炎の剣をひねり上げた。
     薄青く澄んだ切っ先がグリフォンの背筋をたどり、首筋そして頭頂部に臨むと凶相の顔面から再び炎の刀身が現れる。
     ポツポツと切り口が赤く滲んでいく。血を噴き出したかのように。
     炎だった。紅く紅く内側から染み出すかのように、炎は羽毛から羽毛へととび、やがてグリフォンの全身を包み込む。血を溶かし込んだような紅い炎の中に、黒い魔獣の輪郭がぼやける。
     鮮血が墨絵を洗い流していく、そんな錯覚を覚えていた。
     気がつくとあちらにもこちらにも、紅い炎が燃え上がっている。
     グリフォンとの想像を絶する戦いの証し、折れた巨大な爪の破片や舞い散った羽、噴き出した血溜りに宿る炎。  
    「熱く、ないのか……」  
     エルディンの掠れた声に答える者はない。だが、何を言わんとしているかは一目瞭然だ。
     不思議そうに視線をおとしたのは、自分の傷だらけの腕。腕に限らず、身体中に浴びたグリフォンの血のすべてに、紅い炎が灯っていく。
     しばらく燃えて、燃え尽きる。
     後ろに座り込んでいるダグレイの方は、さらなる明滅を繰り返していた。
     ──人も戦場も魔獣をも等しく飾る紅い華の舞い──
     後に、風は吹いていたのか、炎は爆ぜていたのか、誰も思い出すことはできなかった。
     それほどに張りつめた空気の中、最期の瞬間をただ見つめていた。
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