** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 10
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    「うーん、ううーーっっ」
    「お、おい……。エマリー大丈夫かよ?」  
     自分の隣りを歩く恋人の顔を、ダグレイが気づかわしげにのぞき込む。眉根をよせ、うなり声をあげっぱなしなのだ。  
    「あの、エマリーちゃん? 何度も言いますけど、そんなに力まなくても……」  
     後ろを歩いていたジルベルが、困り果てたと言わんばかりに小首をかしげる。  
    「ジルさんもああ言ってることだし。おい、ちょっと聞けよ、エマリー!」
    「聞こえてるよ。もうっ! 人がせっかく必死に集中してるのに邪魔しないで!!」
    「エマリーちゃんったら、まるきり聞いてませんのね……」  
     苦笑まじりのジルベルの声は、どうやらエマリーの心にまでは届かなかったらしい。  
    「自分の内側から……流れ込む……意識して……」  
     再びエマリーは胸に下げた首飾りを握りしめる。呟きとうめきを交互に吐きだしながら、一歩を踏み出した。  
    「うー。う? わわっ!!」
    「だからぁっっ!!」  
     意地悪く手を繋いだような草の絡まりに足をとられ、エマリーの身体がフワリと浮く。地面と対面せずに済んだのは、ダグレイの支えがあってこそだ。ただし、飽きることなく繰り返されるその行為に扱いもぞんざいになってきた。まるで猫の子でもつまむように、襟首をつかみ上げている。  
    「おい、何回目だと思ってるんだ? いい加減まともに歩いてくれよ」
    「ダグってば、もうちょっと丁寧に扱ってよ!」
    「文句があるならちゃんとに歩け!」  
     当初、ダグレイが警戒のために握っていた剣は、エマリーの安全のためにすでに鞘に収められていた。  
    「ですからね、そんなに気負わなくてよろしいのよ、エマリーちゃん」  
     またもや言い合いに突入した二人の間に割って入ると、ジルベルは優しくエマリーをたしなめる。  
    「ほらほら、そんなに握りしめないで下さいな」
    「だって……」  
     砕かんばかりの力で握っていた手を渋々開くと、黒い玉飾りが転がる。いつもはジルベルの胸でツヤめいていた黒い石だ。  
    「普通に首から下げているだけでも、十分ですのよ。ほんのお守り程度のつもりですし」
    「でも、でも。少しでもたくさんの魔力を込めた方が役にたつんでしょ?」
    「それはそうでございますけれど……」
    「じゃあ、やっぱりがんばらなきゃ! 魔力……入れ、入れーーぇ」
    「ですから、エマリーちゃん。わたくしの話を少しは聞いてくださいな……」  
     これまで見たこともないような集中力を発揮し、エマリーは黒い石を額にあて呪文でも唱えるようにして一心不乱に念じている。
     ダグレイがはっと顔色を変えた。  
    「おい、エマリー。そこ、窪みが……」  
     そう言っている間にも、上手に足に窪みをはいたエマリーが見事な大回転を見せた。  
    「……」  
     ダグレイは頭を一つ横に振る。無言のまま、エマリーへと近づいていった。
     ジルベルも足をとめる。背後の規則正しい足音も止まる。  
    「あの、エルディン様。エマリーちゃんのこと、お怒りにならないで下さいませね」
    「別に構わんだろう。これだけ派手に騒いでいれば、グリフォンの方も見つけやすい」
    「……」  
     あくまでも淡々としたエルディンの口調は、冗談なのか嫌味なのか判断に難しい。
     まだ森のほんの外周りにいた彼に追いついた時から、飄々とした表情もまったく変わらない。グリフォンを倒す術があると聞いた時は、さすがに驚きの顔を隠せなかったようだが。
     とりあえず苦笑を浮かべて、ジルベルはその場をのりきった。  
    「それで、あれは一体、何なのだ?」
    「先日使ったグリフォンを呪縛した呪具ですのよ。わたくしは、 『 楔石 ( くさびいし ) 』 と呼んでおりますわ」
    「楔か……」  
     エルディンは腕を組んでいた。大きな手のひらから指先をたどった先に、あるべきはずの十字は見当たらない。
     強引に守護騎士隊長の任を返上してきたのだが、今のところは保留になっている。
     元々は守護騎士である事さえも辞するつもりであったのだが、紺と銀の鎧だけは返上する事は決して許されなかった。彼の意思にそむいて。
     もっとも銀の十字の一つや二つで、エルディンという存在が変わる事などあり得ないようだ。
     わずかにひそめた眉根で疑問符を投げかけていた。そのまま押し黙ってしまおうかとのジルベルの目論みは、その視線の圧力であえなく崩れさった。  
    「誰が使っても同じように、周辺の一切の動きを止めることができるのですわ。ただし、魔力が蓄えてあれば、でございますけれど」
    「具体的に言うとどういう事のだ?」  
     あくまでも淡々と会話を進めるエルディンに、またジルベルに苦笑がこみあげる。
     二人の視線の先では、ダグレイに小脇を抱えられたエマリーが膝をパタパタとはたいていた。半泣きの顔は痛みによるものではなく、ダグレイの冷ややかな叱責によるものと思われる。  
    「呪具を水がめ、中に入れる水を効果と考えて下さいませ。腕力によって持ち運べる水がめの大きさは違いますし、であれば、中の水の量も異なってきますわよね?」
    「うむ」
    「では、非常に軽くて底なしに入る水がめがあったとすれば? 誰かが水を汲みさえすれば、誰でも手軽に持ち運べる……」
    「あれは、その水汲み作業というわけか」
    「ええ。呪縛以外には使えないようになってはおりますけれど」  
     ジルベルはご名答とばかりに、にっこりと笑った。エルディンはもちろん笑い返しはしない。
     いや……なお一層、凍りつくほどに鋭い視線。
     もう日の落ちて暗闇が広がる森の中で、なぜか黒い瞳が光を持つ。ジルベルも視線を追った。  
    「エマリーちゃん、それっ!」
    「……! エマリー、おま……っ、それっっ!」  
     エマリーの胸元にオレンジの輝きがやけに明るく光を増していた。いつかと同じように、急速に光の領分を広げながら。  
     何処だ……何処から来る? 
     二人の錬金術師をそれぞれの背中の壁で隠し、騎士二人は油断なく辺りに気をめぐらせる。汗ばむ手に剣を握りなおし、恐怖か武者震いか、背筋を駆け上る悪寒を必死に押し殺していた。
     握りしめてしまいたい衝動を必死でこらえているエマリーの手の平に、朱の光が満ちていく。数日前に見たよりも、忌まわしい赤さが増しているように見えて仕方がなかった。
     息すらを殺す四人の周囲で、静かだった木立がかすかなざわめきを奏で始める。
     今にもその時が来る。
     肌に禍々しい気配を感じ、ダグレイが唾を飲み込もうとした。そして、初めて口の中がカラカラに乾ききっていることに気づく。
     エルディンにしても、その涼しい顔とは裏腹に全身が剥き出しの神経のようだった。辺りにある全ての気配が刺すように身体に流れ込んでくる。  
    「本当にグリフォンは一匹なんだな?」
    「……新たに生み出されたのでなければ、この世にはもう一匹限りだと。少なくとも、今ここには」  
     ならば、この一戦にすべてをかけられる。今宵限りの命になったとしても。
     生命の瀬戸際にいるというのに、エルディンは不思議な充実感を覚えていた。
     風が巻く宙に視線を定めた時、二人の騎士の背後から不意に聞き覚えのない響きが小さく囁かれる。

    『 我 求める者なり 今 我が呼びかけに応えよ 』
     
     紅色の唇からはその場の他の誰も理解できない、冷たい硬い旋律が紡ぎだされていく。
     
    『 我は力を求める者なり 我が力と交わりていと高き力と導け 』
     
     エマリーの見開いた目がジルベルを見つめる。白い手の上で渡しておいた爆弾が赤く燃え出していた。
     
    『 我が与えし名に従い 我が力となれ 』
     
     キンと耳に響く音階はなんらかの詠唱らしい。魔導師の一環であるエマリーだけが、ほんの少し理解し始めた。
     詠唱の声をものみ込む、風のうねり。
     前回と同様、いや、それよりもずっと速く辺りには影しかなくなった。
     
    『 汝 炎の剣   ジョフィエルの剣 』
     
     詠唱の終わりと同時に木々がなぎ払われた。最も濃い影の一部が長く伸び、そして、けたたましい咆哮が森に響きわたる。
     ふきこぼれる血の塊。それは、グリフォンの鋭い鉤爪の間からドロリと大地にしたたった。
     グリフォンの発した凄まじい苦痛の大音響が、大地までをも震わせる。
     屈辱に爛々と目をたぎらせて、傷ついた前肢をかばうようにして大地に降り立った。  
    「これは……」
    「す……っげぇ」  
     グリフォンの渾身の一撃は人間の予想をはるかに超えて速かった。避けることもできず、普通ならば無数の枝と共に散乱するばかりであっただろう。
     だがエルディンの剣は、グリフォンの巨体を受け止め、流した。
     ダグレイも自分の手元を見つめる。真っ赤な立ち昇る火柱の芯となった、愛用の剣の刃を。
     エルディンの握る剣もまた、深い手傷を負わせてなお激しく炎を躍らせていた。炎の鎧に身を包んだ己の剣に、戸惑いがないわけはない。
     ──だが、過日とは違う明らかな手応え──  
    「行くぞ、ダグレイ」
    「は!」  
     二人の騎士は嬉々として黒い巨体に向かって猛然と走った。
     グリフォンとの戦いに心奪われた騎士達の後ろで、エマリーが白くなるほど強く両の手を握り合わせる。まるで、そうすることができないその人の分までとでも言うように、強く、強く。
     腹の辺りで両の手を握り合わせる寸前で止まった、ジルベルの手と手の間に朱色が渦を巻いていた。鈍く激しく、刻々と色合いを変える。
     それは恐ろしいほどの魔力の凝縮だった。
     周囲の空間が歪んでそう見せるのだと分かり、エマリーは一歩後ずさる。
     ジルベルは苦しげに息を途切れさせながら、不安げな茶色の瞳にかすかに笑ってみせた。
     黒い石を握るエマリーの手に力がこもる。聞こえない声に応えるように縦に頭を振り、ジルベルにぎこちなくも笑い返す。  
    「入ってけ、入ってけ……」  
     頭の中身が思わず口こぼれていることに、どうやら当人は気づいていないようだ。
     まあ、言いたことは伝わったようだからと、ジルベルは真剣すぎるほどに真剣なエマリーの姿に微笑する。  
     今度こそ必ず終わらせよう……必ず……全員で生きて帰ろう…… 
     自分に対して誓いにも似た決意を固めたジルベルは、今にも弾けてしまいそうな手の中の力の濁流にまた意識をおとした。
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