** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 09
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     足場の悪い真っ暗な道。突きだした枝。絡まるツタ。
     誰もがアザと小さな切り傷をいっぱいにして、森から転げ出る。  
    「森が、動き出しそうだ……」  
     そんなダグレイの途切れ途切れの呟きに、全ての視線が後にしたばかりの森を仰ぎ見た。
     ただ樹々が風に揺れているだけ。そう言ってしまえばわけはない……が、今や全員がその風の主を知ってしまった。
     たった一匹で森さえを震わせる、黒いグリフォン。
     森そのものを背負って今にも飛びたつのではないかと、ダグレイは背筋が寒くなるのを感じていた。
     身震いは小脇に抱えたエマリーにも伝染する。道中、ひどく動転していることもあって転んでいる時間の方が多くなったエマリーを、半ば抱えて走ってきたのである。  
    「エマリー……もう立てるか?」  
     細い身体を震わせながらもどうにか頷くのを見て、ダグレイはエマリーをそっと大地に降ろした。  
    「本当に、森から出てはこないのだな?」  
     傍らに座り込んでいる白い人影に、エルディンが目を細めた。
     ジルベルは小さく頷く。全力疾走を続けた身体には、それが精一杯だった。
     それにしても、驚くべきは息を荒くしている以外に怪我らしい怪我をしていないことだろう。全力で逃げるために周囲に気を張りめぐらせ、大きくよろめくようなことはなかった。一度も。
     エルディンもある程度は予測はしていた。だが、それをはるかに超えて、ジルベルは慣れていた。夜道にも敗走にも。
     木立のざわめきにエルディンの厳しい視線が森にかえる。
     まだ大きく肩で息をつきながらもまっすぐに立つエルディンの黒い闇の瞳に、蠢く森に背負われた月が浮かぶ。哀しいほどに真っ白な月が。
     その白い光の清浄さを見つけたジルベルは、不思議な安堵を覚えて……。  


     ──突然の騒音。
     壊すつもりなのだと言わんばかりに、拳を表戸に叩きつけている。
     身体がはね起きると同時に、ジルベルの正気を覆っていた睡魔も霧散する。
     そう、今見ていたのはあの日の夢……。
     ほんの数日前の忌まわしい夜の最後の一幕。騎士たちに見送られて帰った後から今日で三日、ろくな睡眠をとっていなかったせいで夢と現実の境界線が少しばかりあやふやになっているようだ。
     束の間の白昼夢から、頭を軽く振って覚醒させ急いで表の扉へと向かう。ギシギシと蝶番まできしむほどの勢いで、先ほどから叩き続けられていた。  
    「一体、何ご……」  
     掛け金を外した途端、足元に少女が転がり込んだ。  
    「たた……あ! ジルさんっっ!!」
    「まあ、そんなに慌ててどうなさっ……」
    「大変なんです!! エルディン様が、グリフォンで、駄目なんですっっ!!」
    「……」  
     まずはまだ尻もちをついたままのエマリーを立たせ、パタパタと服を払ってやる。そのまま手を引き、いつもの椅子に華奢な体を押しつけた。  
    「それで、エルディン様がどうなさいましたの?」
    「エルディン様、守護騎士隊の隊長を辞めてしまわれたんです」
    「そう……」  
     エマリーは顔をはねあげた。特に驚いた様子もなく、ジルベルはお茶を淹れている。  
    「あの、知ってたんですか?」
    「いいえ。でも、あれだけの人数がお亡くなりになったんですもの。どなたかが責任を問われるのは仕方のないことですわ」
    「でも、あの夜は自警団の人が先走ったから……!!」
    「あの方のご気性の場合、ご自分で責任をお取りになると言いだすでしょうから。違いまして?」  
     いつもと変わらぬ微笑でジルベルはカップを差し出した。真っ白なカップの中で黄金色の液体が温かな芳香をたち上げている。  
    「……ダグ、落ち込んでるんです。すごく。何もできなかったのは自分も同じなのに、って。他の騎士さんたちだって……」  
     受け取ったカップの淵から上げたエマリーの目に映るジルベルの顔から微笑は消えていた。
     じっと窓の外を見つめている。街の風景をこえ、見えはしない森の奥に今もひそむ黒い影を追っていた。  
    「エマリーちゃん。グリフォンのこと……どうしてお聞きになりませんの?」
    「え? あ……その……あんまり話したくなさそうだと思ったから……」  
     まだジルベルの瞳は遠い彼方を見つめていた。普段まっすぐに瞳を合わせて話すジルベルの、いつもと違う仕草に居心地の悪さを感じる。  
    「──何年か前に研究施設から逃げ出して、どこに居たのかそれっきり。どうして、ここに居るのか見当もつきませんわ。マティギニスと同じように、ね。」  
     ポツリとまるで独り言のように漏れた言葉。
     その声は苦く重いもので、ただならぬ告白なのだろうとエマリーにも分かった。  
    「また、スーニエルなんですね」
    「ごめんなさいね。聞かないの、と言っておいて何ですけれど、これ以上は……。下手なことを言えば、国同士の問題になりかねませんの」  
     多分、あの場の誰もが薄々そう気づいていたのだろう。だからこそ先に逃げだした自警団の連中と合流した時も、詳しくを語らず口を閉ざしてくれたのだろう。
     もっとも、ジルベルにも語れることは少なかった。
     グリフォンの生態や戦い方についてならば、いくらかの助言はできる。だが、肝心の何故グリフォンがここにいるのかと問われれば……。
     聞けるものなら、自分こそがスーニエルに問いたいぐらいだ。
     あの災厄の日々が始まってすぐ、他国へまで危険が及ぶことを懸念してすぐに総力を結集して国を覆う探知結界を張った。
     まったく抜け目がなかったかと問われれば絶対とは答えられないが、さすがにグリフォンほどの強力な魔力を帯びたものを見逃すとは考えにくい。
     結界そのものが失われてしまったのだろうか……?
     グリフォンを生み出せる者がどこかに現れたと考えるよりは、まだ想像に易い。
     予想に違わずこの国のぬるい気温に命を落とした寒冷に棲む魔獣マティギニスの一件も考えれば、グリフォンもまた同じようにスーニエルから連れ出された可能性は高い。
     自分のいる、このフィールデン王国に──。
     誰が、どうやって、何のために──。
     ジルベルの疑問に得体の知れない嫌な予感だけが、閃いては形にならず消える。
     重苦しい沈黙が流れていった。
     わずかに風に揺れたジルベルの髪の動きにさえ、エマリーはビクリと身体を強張らせる。  
    「エマリーちゃん……」
    「ごめんなさ……い。なんでも、ジルさんに頼っちゃいけないって、ダグが。でも……、他に誰も、何も思いつかな……くて……」  
     張りつめていたエマリーの大きな瞳が潤んでいく。  
    「みんなに元気になって欲しいけど、何も出来ない。ダグを助けてあげたいのに、何も……」
    「わたくしのこと、責めてもよろしいのよ?」
    「え?」
    「グリフォンのことを知っていながら、どうしてもっと早く助けなかったのか、と」  
     甘んじて罵られようとしたジルベルに、エマリーは激しく首を横にふった。涙がはね散る。  
    「そうじゃないんです! 力を貸して欲しいだけですっ!!」
    「……エマリーちゃん」  
     突然、エマリーは真っ白な抱擁に包み込まれた。頭を抱く腕が微かに震えて。
     ジルベルは自分の狡さを呪う。こんな風に言えば、エマリーが決して自分を責めないだろうことぐらいわかっていた。
     未来を欲する自分のために出来ることをしようと腹をくくったにも関わらず、あのグリフォンを目の当たりにしてまた億劫になって自ら動き出そうとしなかった愚かしさに一瞬唇を噛む。  
    「……何ができるか考えてみますわ。今のわたくしにできる事を」
    「わたしも手伝います!」
     嬉しそうにぱっと顔色を変えるエマリーに、ジルベルは苦笑をこぼした。
    「恐くはありませんの? あんな化け物を相手にしなくてはいけないんですわよ?」
    「恐くないことはないけど、でも、平気です!」
    「強いのですわね……」  
     そんなことないですよ、とエマリーが頬を赤らめる。
     二人の顔に微笑が戻った。そうして、すっかり冷めてしまったお茶に手を伸ばした──途端にである。  
    「エマリーーー!! ありったけの爆弾出してくれっっ!」  
     汗だくで息をつまらせたダグレイの叫びが、広くはない家中に轟く。
     あまりに勢いよく開けた反動ではね返った扉を、ぎりぎりのところで上手くすり抜けたものだ。  
    「一体、何ご……」
    「隊長が!! 森で、グリフォンなんだっっ!!」
    「…………」  
     ジルベルはため息をついた。
     エマリーが一つ咳払いをしたのは、照れ隠しだろうか。  
    「ダグ。それじゃ、分からないってば」
    「と、とにかく、詳しい話してる暇はねぇんだ。隊長に、爆弾で……」  
     支離滅裂なままのダグレイにも、ジルベルはぬるいお茶を注いだカップを押しつける。  
    「エルディン様はユクートの森に行かれましたの?」
    「ああ、そうなんだ。よく分かったな、ジルさん」
    「あの手の方が考えそうなことですわ」  
     どこか冷淡にすら聞こえるほどきっぱりと言い捨て、ジルベルは窓辺に寄った。
     意地や誇りだけではどうにもならない相手だと理解できなかったはずはないのに。
     誰の助けも乞わず、何ものにも頼ろうとはしないなんて。
     命を捨てる行為だ。愚かしいことだ……愚かしいことではある、が……。
    「もうすぐ、日が落ちますわ。急いだほうがよろしいですわね」  
     ジルベルは考えるのを止めた。もうその時は終わったのだ、と。  
    「ああ……ってまさか、一緒に来るつもりじゃ……」
    「もちろん、最後まで見届けますわ」
    「でもな……」
    「詳しい話をしている時間はないでしょう?」  
     常日頃目にしているジルベルにとはどこか違う、見慣れない表情と聞きなれない口調だった。
     ダグレイが思わず目をこする。
     毅然と浮かび上がる強い白。それまで人の群れの中でどこかぼやけていた、ジルベルという人間の輪郭がくっきりと見えた気がした。  
    「わたくしはグリフォンを倒す方法を知っています。それでよろしいわね?」  
     口元を引き締めたジルベルの目線に気圧されながら、ダグレイはただ首を縦に振り下ろすだけ。  
    「エマリーちゃん。ダグレイさんの仰るように爆弾を用意なさって。それに 『 ヴィネの眼 』 も忘れずに」
    「は、はい。え、えーと……爆弾……ですか?」
    「そう。威力のあるものでなくてはいけませんわ。そうですわね、最低でもこの間間違って作って叱られた程度の破壊力があるものを。他にお願いしたい事もあるんですけれど、そのためにはご一緒して頂かないとといけませんから」
    「やだなぁ、最初っからそのつもりですよ。だって、『 ヴィネの眼 』 は、わたしのでしょう?」  
     もはやダグレイに口をはさむスキなどなかった。ポカンと呆気にとられながら二人が慌しくなるのを見ている。  
    「どうかなさって、ダグレイさん? すぐに出かけられるように馬車の手配でもして下さいませんこと?」
    「あ、……はい」
    「エマリーちゃんの家の方に回してください」
    「わ、分かった」  
     言われるがままに扉の向こうへに消える後ろ姿を見送り、ジルベルはエマリーに向きなおる。  
    「最初から命の保証はありませんわ。それでも……本当によろしいのね?」
    「きっと、平気ですよ。そう信じましょう。せめて出かける前ぐらいは」
    「……そうですわね。」  
     エマリーが先に立って戸口をくぐった。赤い夕映えの中に少女のシルエットがほっそりと浮かび上がる。  
    「いけない……」  
     ジルベルは慌てて部屋の奥へと舞い戻り、机の上に手を伸ばした。  
    「それって、あの時の?」  
     ジルベルの指先で光るつややかな黒い石。
     漆黒のグリフォンの暴虐ををただ一つ止め得た力ある石。  
    「頼みたい事というのはこれの事ですの」  
     エマリーの手に黒い石が着地する。なぜだかやけに鼓動が大きく響いた。何かが通り過ぎたような、通り抜けたような、不思議な感覚を覚える。  
    「これ……」
    「これは特殊な呪具で、魔力を吸収する石ですわ」
    「そんな呪具、聞いたこともありませんよ……」  
     スーニエルには本当に未知の世界が待っているようだ。エマリーが苦笑を浮かべる。  
    「とにかく、そうやって吸収した魔力を蓄えておけますの。呪縛の力として解放するまで、ずっと」
    「はぁ……よく分からないけど、すごいんですね……」
    「それでエマリーちゃんの魔力をこの石に頂きたいんですわ」
    「へ?」
    「まあ、詳しくは向こうに着くまでに説明いたしますから。さ、参りましょう」  
     ジルベルは黒い石を、エマリーの手から取り戻す。なまじ強い魔力を持つだけに、うっかりするとどんどん魔力を吸収されかねないのだ。
     怪訝な表情をしながらも大人しく頷いて、エマリーはパッと表におりた。石畳から戸口を越えて室内へ、黒い影が長く長く伸びる。もう間もなく、夜が訪れるのだろう。
     ジルベルはきつく唇を噛む。
     握りしめた手の平の中で漆黒の石が人肌のぬくもりを帯びた。
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