** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 08
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     騎馬の騎士たちに守られて、馬車は夜道を疾走する。お世辞にもよいとは言えない乗り心地ではあったが、徒歩でかかる道ゆきの半分以下でたどり着こう、と言うのだから仕方がない。
     日頃は何かとと騒々しい二人の乗客でさえ、なりふりかまわない揺れの激しさにいいかげん辟易し無口になった頃、ようやく目的地に到着した。
     見上げればきらびやかな星々と白い月明かりが輝いているという。
     比べて、目の前の森は暗い。手にした松明やランタンの明かりで少し先までがどうにか見える程度だ。
     残念ながら、すでに一部の血気盛んな──ジルベルに言わせれば無知無謀な──若者たちは森へ入り込んでしまっていた。
     曰く、手柄を横取りされてたまるか、らしい。  
    「とにかく急ぐぞ」  
     エルディンが指揮をとる。二十余名の守護騎士隊と待機していた自警団十数名に錬金術師二名を加えた一行は、即席の隊列を組み森への行軍を開始した。  
    「ねぇ、ジルさん。採集カゴ持って来れば良かったと思いませんか?」
    「本当に。でも暗くて見づらいですわよ」  
     ジルベルとエマリーが、心底、残念そうにためいきをこぼす。
     静まりかえった暗い森の夜道ごときでは、元気の戻った二人の錬金術師を黙らせることはできないらしい。森への進入を開始してからずっと、他愛もない話が続いている。
     大声ではないし、辺りを警戒する騎士たちの邪魔になるわけではない。
     だが、まるで脅える様子もないジルベルとエマリーに、男たちのほうが閉口していた。  
    「俺たちの緊張感を返してくれ……」  
     もの哀しそうに言うダグレイにジルベルは微笑する。  
    「何もないうちから気を張りつめていると、神経が参ってしまいますわよ」
    「だからってな……」
    「頭の切替と割切りが肝心でしてよ」  
     笑顔の中で、ダグレイを見上げる灰色の瞳だけは不思議なほど真剣な光を帯びていた。  
    「それに、彼らを見つけるのにそれほど時間はかかりませんわ。ただ、間に合うかどうかの問題で」
    「何に間に合うんだよ?」
    「こちらが先に見つけるか、それとも……」  
     それとも……。その言葉の続きを聞く必要はなかった。残念ながら、もうそれは起きてしまったらしい。
     誰しもの耳を突きぬけたおぞましい悲鳴の束。
     声を頼りに一斉に藪をかき分けて駆け出した一行は、間もなくむせ返る血の臭いに出迎えられた。
     目当ての彼らの姿は見えない。
     代わりに、エマリーの胸元で眩いばかりの朱色が唐突に輝きだしていた。  
    「い、いつのまにっ!!」  
     誰かがうめく。
     森に近づくにつれ大きくなってはいたが、先ほどまではわずかであった光点は、今はもう石の内側を煌々と満たしている。
     あまりにも突然だった。はっきりとした気配はまだ感じさせない。動くのは、ただ風だけ。
     ──風がうねる──  
    「上っっ!」  
     ジルベルの鋭い叫びに全員が視線を上げる。
     擦れ合う木々のざわめきを感じた直後。緑の天井が短い悲鳴をあげて次々とへし折られ、同時に真っ黒な影が力ずくで開けた裂け目から飛来した。
     砕けた枝の木っ端が綿のごとく、舞い上がり降りかかる。
     風の渦の中から黒い影の一端が長く伸びた。
     人の群れの間を斜めに通過する。邪魔者をことごとく無視して。
     エルディンがとっさに引き倒さなければ、ジルベルもそのささやかな障害物の一つに加えられていただろう。
     第二撃がすかさず繰り出された。
     影の鋭い先端がかすっただけでダグレイの鎧の腹が抉れ血が滴る。
     エマリーを背に庇いつつその程度の怪我ですんだのは、まさに驚異的な反射能力だった。
     騎士たちは退路を背に初めて目にした敵と向かい合う。
     これは一体……何なんだ!! 
     共通の驚愕が一同に走る中、ジルベルだけはやはりという落胆にきつく奥歯を噛みしめた。
     たったの二撃。それだけで三分の一の人間が命を散らしていた。
     そのほとんどは自警団の者ではあったが、彼らとて決してずぶの素人というわけではない。
     ここいらの普通の魔獣相手ならば決してひけをとらない男たちが、剣を抜くことも、盾をかざすこともなく、ただ倒れたのだ。
     まだ森にはいってから、それほどは歩いていない。
     自分たちが時間をかせぎ、女二人は逃がす。最悪でも一人、ルイーダまで辿りつかせなければ、この惨劇は無意味になる。
     エルディンはその最悪の覚悟を即座に決めていた。
     目の前にいる敵は、あまりにも未知数で、あまりにも桁外れの力を見せつけた。
     汗が噴出す手で剣を身構えるエルディン。彼の部下たちもまた同じだった。
     だが、次の攻撃はまだ来ない。
     頭上からゆっくりと降臨する巨体の振動が足元を這う。大きく動く気配はなく、腹に響くうなり声だけが人間たちの上から降ってくる。
     ようやく人の背丈の三倍はゆうに越える姿を、まともに仰ぎ見るだけのささやかな余裕が人々の間に生まれた。  
    「……グ、グリ……フォン?」  
     エマリーが吐息のようにこぼしたのは、遠い時代に空を駆ったという幻の獣の名……。
     鷹の頭と獅子の体、その足先には鷹の鋭い三本爪。まさしく 『 伝説から抜け出したような 』 という表現を、たった一点裏切っていた。神々しい金色のはずの獣は、隅から隅までが闇に融けるように、黒く塗り潰されている。赤いと思われる瞳も濁ってどす黒い。勇猛にして優美な聖なる獣、そう思わせる一片すらない。
     醜悪にすら思える禍々しさの前で、誰もが息をつくことも忘れて居すくんでいた。
     黒装束のグリフォンもまた見ていた。
     見下ろした小さな獲物から立ち昇る凄まじい闘気がチリチリと肌を焼く。すなわち、それを敵意とみなしグリフォンは翼を震わせた。  
    「退けっ!」  
     足元に怪しい風のさざ波を感じると同時に、エルディンは叫んでいた。命じられたのは部下ではない。
     守護騎士たちは隊長の短い言葉の意味を、正確に理解していた。我々がここを引き受けるから他の者は退け、であることを。
     ダグレイはすでに一足早く、敵に向かって踏み込んでいる。他の守護騎士たちも続く。  
    「おい、行くぞ!!」  
     腕をつかもうとする手を、ジルベルは思い切りはねつけた。
     自警団の団長は驚いたように我が手を見つめる。だが、何も言わず先に走りだした団員たちを追い、来た道を逃げていった。
     何の打ち合わせもなく、誉と誇りの紺色の甲冑をまとった騎士たちが左右に分かれ散開する。
     できる限り密集しないように注意を払いながら、各々がグリフォンの前肢へと斬りかかった。
     今にもたどり着く寸前、こつ然と標的を見失う。
     エルディンは剣に宙を斬らせることなく踏みとどまり体勢を立て直した。と、同時に大きく身をひねる。
     後肢で悠々と立ち上がったグリフォンが、再び前肢という兇器を振り下ろした。
     際どいところで、尋常ならざる落下物からエルディン自身は逃れる。
     ……しかし。  
    「っ……」  
     噛みしめた奥歯がぎりぎりと音をたてる。避け損ねた部下の死を直前にして平静を保つためには、多大な努力を必要とした。
     たたみかける様に鋭い爪の強襲は続く。
     今度はダグレイの身体がよじれ肩あてが宙に高く跳ね上がった。  
    「ダグレイ!」
    「大丈夫……す」  
     真っ青な顔色で、それでも、ダグレイはもう剣を握り直している。
     グリフォンは低くうなった。目の前にまだちょろちょろと動く人間に対しての威嚇と、自分自身への不信を抱いて。
     それでもまた幾人かが血に沈んでいたのだが。  
    「駄目ですわ、エマリーちゃん!!」  
     ジルベルは肩から下げたカバンに突っ込んだエマリーの腕をつかんでいる。
     まだ息のある騎士たちは思わず息をのむ。一番に逃げているはずの二人が、そこにいたのだ。残念ながら文句を言いたてている状況ではない。
     失った仲間への憂いを捨て、騎士たちは目前の敵を一心に見据えた。一歩も退けないと。  
    「どうして、どうして!? ジルさんっ!」
    「その程度の火力ではアレには効果なんてありませんわ!」  
     カバンの中のエマリー手に握られた楕円の赤い塊は、人の丈ほどある岩石を砕くほどの力を秘めている。普通の魔獣程度ならば効果がないなどありえない。
     それでも使用に耐えない理由、それはこの化け物相手では明らかに力が足りないせいだ。
     漆黒のグリフォンが魔力の結晶より生み出されたことを、今この場でジルベルだけは知っていた。
     単純に破壊力があるだけではない。むしろ、脅威となるのは物理的な攻撃が通用していないと錯覚するほどの魔力によって補われる回復力と生命力なのだ。
     数十人の魔道師が注ぎ込んだ魔力を凌ぐ物理的な力など、一体、どこかにあるのだろうか? 少なくともジルベルはそんなものは知らない。
     たとえばこの森一つを一瞬で葬り去る爆薬でもあれば、あるいは通用するのかもしれないが。それとて、確約ではなく「あるいは」の領域を出ない。
     ゆえに、現時点でこのグリフォンの魔力に対抗し得るのは、魔力のみ。
     多少の力などぶつけたところでどれほどの役にもたたない。それどころか、苛立ちを逆なでしてしまうかもしれない。  
    「でも、でもっ!!」  
     爆弾を握りしめるエマリーの手が、いや、全身が震えた。
     目の前では、再び騎士たちの死闘が始まっている。
     恋人が傷ついていく様を、ただ為す術もなく眺めることしかできない。そう思うだけで息が詰まる。  
    「ジル……さ……ん」
    「お願いですわ。エマリーちゃん」
    「で、でもぉ……」
    「必ず……必ず助けてみせませすから……」  
     二人の耳には未だ激しく打ち合う鋼の固い響きが続く。
     エマリーの挙動を止めながら、ジルベルは目の前の奇蹟をじっと見ていた。
     降りしきる雪の中を、短い夏の心地よい風の中を、髪をふり乱し傷だらけになった日々を思い出す。
     ──そして、初めてこの黒い生命が生まれた時のことも──

     雪に閉ざされたいつもどおりの冬のある日。
     スーニエルの一角は命を創りだしたという傲慢な喜びにわきかえった。
     その数ヶ月の後、彼らは高い夜空へと羽ばたく。絶望と恐怖とを翼にのせて。
     逃げ出したグリフォンは闇にまぎれ、殺人の本能だけをむき出しにした。そう仕向けたのは、生物兵器として利用しようした人間たちに他ならない。
     ……彼らを制御できなかったことだけが、大いなる誤算だった。
     グリフォンを討伐するために組まれた、数十人の部隊。その中にジルベルもいた事がある。いや、あり続けた。
     戦いを知らぬ魔道師の戦闘は、最初、目を覆いたくなる程に無様だった。  

     あの時この人達のような戦士がわが国にもいたならば、もっと別の戦いかたがあったかもしれない。 
     ジルベルは紅い唇をゆるく噛む。戦いに慣れるまでに積み重なった数多の同胞の数を思って。
     魔力を行使するためには幾らかの時が必要となる。強い魔力を用いれば用いるだけ長くなり、その時間を生み出すことが彼らにとってどれ程大変であったことか……。
     戦士の剣ではグリフォンを倒す事はできない。けれど、こうして生き抜く事はできている。時間を稼ぐことのできる優秀な戦士がいれば。そう、彼らのように。
     とはいえ、限界は近いようだ。
     生き残った騎士たちは皆、間一髪のところで深手を凌いでいる。栄光に満ちた紺と銀の鎧は、えぐれ、欠け、ひしゃげ、見る影もなく傷ついていた。
     通常の魔獣が相手ならば、すでに幾度となくその四肢を切り裂けたはずだ。けれど、グリフォンの身を覆う羽毛や毛皮は鋼鉄の鎧よりも堅くそして柔軟に騎士たちの刃を退ける。
     たまには運よく肉にまで達する刃もあるだろうが、その程度のささいな傷はグリフォンが傷と認識する間もなく治癒されてしまう。
     それでも打ち据えられる痛みはあるのだろう。いつまでも片付けかない人間たちへの苛立ちも交えて、大きく咆哮をあげた。憎悪に満ちた目からはますます光が失せ、暗く黒く沈み込んでゆく。
     漆黒の翼が闇を照らすかすかな月光さえ閉ざし、素早く広がった。
     その一振りで、目の前にいたエルディンとダグレイの動きが止まる。肺に空気が逆流し、凄まじい風勢に息ができない。
     グリフォンの巨体が大地を離れていく。
     今度はダグレイが叫んだ。  
    「バカ!! いつまでそこに居るんだ! 早く逃げろっ!!」  
     空へと浮かび上がる巨体を見上げる。翼なき身としては天空を舞う敵とまともに戦いようもない。またしても戦況は悪くなる一方だった。
     せめて完全に舞い上がるその前に一撃でも与えたい。エルディンは肢の付け根に向けて踏みこんだ。
     だが、明確にその急進を止めるための激しい羽ばたきに遮られる。
     ついに、グリフォンは人間たちの頭上に臨んだ。嘶きをあげ、羽ばたきを緩める。
     地上では誰もが冷たい汗をまつらわせたまま、傲慢に見下ろすグリフォンの腹を見上げるばかりだ。
     宙に立つグリフォンの前肢が微かに動いた。狙いでも定めたのだろうか。
     騎士たちの足は申し合わせたように一歩一歩下がる。敵から目を離すことなく後ずさり、全神経に緊張がみなぎる。
     グリフォンの研ぎ澄まされた兇暴な爪に敵意が通う。人も獣も、空気までが張りつめた。
     すべての予測を超え、最初に動いたのは白い影。
     ジルベルがずっと掴んでいた黒い石。白と紅で繊細かつ艶やかに構成された彼女の容貌の中で、一点、いつも異彩を放っていた無骨な黒い首飾り。結わえられただけの皮紐はするりと首から外れた。
     今にも襲いかからんと前のめりになったグリフォンの喉下に、意外にも鋭い黒い軌跡が描かれる。
     グリフォンの巨躯にあまりにも無力なはずの飛礫は、しかし、炸裂した。雷光にも似た、常識では考えられない黒い光が放たれる。
     グリフォンの巨体が大きく仰け反る、いや、仰け反ろうとしてもがいている。
     黒い閃光はグリフォンの肢体の随所を貫いて、虚空に縫いつけていた。  
    「今のうちですわっ!!」  
     それだけで十分だった。短いジルベルの叫びに、熟練の騎士たちは的確に行動した。
     ダグレイは呆けているエマリーの腕をつかんで駆け出し、続いて騎士達が負傷者を庇いながら、そしてジルベル、最後にエルディンが来た道を逆走する。  
    「樹木の気を吸収して生きるグリフォンは、今のところはこの森を離れないはず!」  
     ジルベルの荒い息の下からの叫びの意味を、何人がどこまで理解できたかは分からない。
     ひたすら走った。初めて出会った、太刀打ちできない敵から逃れるために。
     一行の背後からグリフォンのありったけの憎しみを込めた声の衝撃波が襲う。
     無我夢中で走り去る人間たちの背中を睨みつけ、漆黒のグリフォンは何度もその巨体を震わせた。
     だが、どれほど試みようともその黒い楔はきつく巨体を戒めるばかり。
     ついには、忌々しい人間の姿を見失ってしまった。
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