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王宮のとある広い一室にジルベルは居た。用意されている椅子には腰掛けず、ぼんやりと窓際にたたずんでいる。 辺りには、ただ低い唸り声だけが響いていた。 声の主のいる太い鉄格子の檻に目をやる。激しく威嚇しているわりに大人しいのは、鎖と魔法による戒めのせいばかりではない。北の果て、凍てついた国のさらに雪山に住まうこの魔獣は、遠い遠い暖かな国の穏やかな春の温もりにさえ衰弱し始めているのだ。 それでも赤い双眸は、憎悪をこめてにジルベルを睨みつけていた。 「お前……何だってこんな所にいるんですの?」 もしも本当に魔獣と言葉を交わせるのなら、どうやってでも問い質したことだろう。 ジルベルの足は我知らずゆっくりと檻に近づいていった。 野牛のような姿だがその大きさたるや家畜としての牛とは比較にならず、ツノは異様に曲がり突き出ている。短い体毛は青緑の血と泥と樹液とで汚れ果てていた。 自由を奪われたマティギニスという名のその魔獣を見上げ、目を細める。 立派に育ったツノの付け根、小さなふくらみがわずかに見える。そこに錨があるはず、と予測して見なければ気付きもしないだろう。それが識別用であること、つまり何のために埋め込まれているかをジルベルは知っている。 マティギニスのツノはある種の薬の素材としてとても貴重な素材である。だからこそ、できる限り傷つけぬよう眠り薬で捕獲し、ツノだけを頂いてまた野に帰すのだ。数年後にまたツノを採取するために。 もちろん、母国スーニエルではである。 万年雪の高い山並みの連なる間に、ひっそりとたたずむ魔導師たちの王国。ジルベルが捨ててきた遠い故郷。 今は昔を懐かしむ心の余裕はない。それどころか、昏い過去の記憶に追い立てられるように苛まれている。 耳に届いた重い扉の開く音も気にならないほどに。 「お前は……」 少し掠れた低い響きにジルベルは正気を取り戻した。 振り返ると、素晴らしく大きな歩調で部屋を横切ったエルディンが肉迫してくるところだ。 「お前は危険という言葉を知らんのか?」 決して大きくはないのだが腹の内側をえぐるような冷たい鋭さに、ジルベルは肩をすくめる。 危険なら浴びる程にと心の中で苦笑し、表の顔には微笑をのせた。 「申し訳ございません、エルディン様。考え事をしておりましたもので、つい……」 普通という名の神経のかよった人間ならば、いくら檻の中といえど見るからに獰猛な魔獣のいる部屋で一人待っているなどとは言わないだろう。ましてや、ついフラフラと近寄ったりなど。そんなありったけの思いをエルディンは視線に込めた。 無言の意味を悟ったらしいジルベルが、わざとらしい咳払いを一つ改めて笑顔を作る。 「もう御用はお済みですの?」 「うむ。そちらはもうよいのか? ならば行くぞ」 返事を待たずに踵を返してしまっては、問いかけになっていない。だが、確かにもうここにいる必要はなかった。大人しく後を追う。 扉が閉まる直前、一度だけ囚われの魔獣を見た。日付がかわる頃にはもはや冷たくなっているはずだ。 こんな遠い異国の地で、朽ち果てるとは思いもしなかっただろうに。 憐憫の情を抱くのは、自分の姿と重なって見えるせいかもしれない。ずいぶん遠くへ来たものだ、と。 ジルベルは小さなため息で、まだ雪深い祖国からの珍客との別れを終えた。 明々と照らし出される王宮の廊下を、しばらくの間二人は黙って歩く。 本日の勤めを終え帰りを急ぐ宮仕えの者たちの、最後の賑わいもやがて途絶える。二人の影だけが廊下に落ちた。 「結局、どのようになりましたの?」 果たして答えてもらえるかどうか。 ジルベルは先をいく男の背に、独り言のように問いかけた。 「まだ当分の間、森の封鎖は続ける。あの魔獣の仕業だと断定するのは難しいことは、お前の説明で分かったからな」 ふり向きもせずエルディンは言う。 「だが、自警団の連中はかなり不服そうであった。かなりの犠牲を払ったのだから無理もないが。近々、また討伐に出るかもしれん」 「駄目ですわ! その、もっとちゃんと安全を確認してからでないと!」 「安全を得るために討伐に行くのだと思うが?」 「それにしても……その、せめて……そうですわ! もっと敵について調査をしてからでないと、みすみす犠牲者を増やすばかりです!」 珍しく勢いこんだジルベルの言葉に、エルディンの歩みが止まる。 「お前にも普通とは違うなりに危機感というものがあったのだな」 「……その、魔獣や魔族の宝庫で生まれ育ったものですから」 一体何に驚いているのかと、内心、毒づきながらもかすかな笑みで言いかえした。 言葉の意味をどう受け止めたのか、再び表情を消したエルディンからはうかがえない。ただ、なるほど、という呟きを残しまた歩き出した。 守護騎士隊の詰所に着くまで、二人の沈黙は続く。 「おかえりなさーい! 遅かったですねぇ」 「まあ、エマリーちゃん。どうなさったの?」 「どうって、待ってたんですよぉ。急に連れてかれちゃったから気になりましたもん」 連れて行かれたと人聞きの悪い言葉を自然に言ってのけ、エマリーはニコニコと笑う。ジルベルは心からの微笑をこぼした。 「ありがとう。じゃあ、すぐに納品を済ませて……あら?」 机の上に置きっぱなしにして行ったカゴの中は、奥底に白い布包みがあるだけだった。 「あのね……時間があったから、かわりに納品しておこうかと思って……」 「助かりましたわ、本当に。どうかしまして?」 おずおずと口ごもるエマリーだったが、意を決したように目を閉じ、深々と頭を下げた。 「ごめんなさいっ! あの白いのだけ何だか分からなくって開けちゃって。そしたらピカッて光って、慌てて直したんだけど、もしかして、大事なものだったら……」 「半分は俺のせいなんだよ。俺、開けて確かめてみればなんて簡単に言っちゃってさ」 いつの間にか隣りに来ていたダグレイが、エマリーと揃ってしょげかえる。 「それは何か特別な品か? 高価というだけならば隊で責任をもって買い取るが?」 「まあ、高価といえば、高価かもしれませんけれど……」 品物が何であるかを確かめもせず買取を申し出たエルディンは、急に査問会に連れ出した非礼を彼なりに悔いているようにも見える。 だがそれよりも、彼がまだそこに残っていたという事実にジルベルは驚いていた。 なんとか平静を装ってエマリーに笑みを向ける。 「気にしなくてよろしいんですわ。コレはあなたにさし上げようと思ってたんですもの。正しくは、エマリーちゃんを通じてダグレイさんに、ですけど」 ジルベルは改めて白い包みをゆっくりと開けた。取りだしたのは首飾りで、先端では透明な石が黄緑の光をあざやかに輝かせる。 「きれー……って、どうして? 誕生日でもないし?」 「俺にって、なんで?」 エマリーとダグレイが、不思議そうにジルベルの手の内をのぞき込む。さらに周囲を居残っていた騎士たちが囲み、その様子を一歩後ろからエルディンが眺める。 「ダグレイさんが心配だと仰っていたでしょう? だから、わたくし手を貸しますわと申し上げたはずですわ」 「アレからずっと閉めきってたのは、もしかして、コレ合成してたんですか? じゃ、コレって……」 「由緒正しい呪具で 『 ヴィネの眼 』 と申しますの。魔獣や魔族を探知できますのよ」 正確に言えば、魔獣や魔族の持つ強い魔力に反応を示すのですけれど。 そう言ってまるで平然と微笑むジルベルに対し、一同は言葉に困る。 「魔獣や魔族……探知……」 誰のものだか分からない声に応えるように、ジルベルはそっとエマリーの手をとり首飾りをのせた。 「光の色が魔力の強さを表してますの。黒から始まって青、緑、黄色を経て赤が一番強いんですわ。それから、よくご覧になって。ほら」 飾りの石を指先で転がす。 「内側の球体が光ってるのが分かりますでしょ? この光の大きさが魔力の主との距離ですの。もちろん、大きいほど近いんですわ」 「す、すっごーいっ!」 「今、大きく光ってるのはマティギニスの魔力ですわ。本当はもっと黄色に近いはずなんですけれど、かなり弱ってましたから……」 ごく普通に説明を続けるジルベルと、ごく普通に受け入れるエマリーの周りで、ごく普通の人間たちがようやく我にかえった。 「ま、待て! ジルさん。なんだって? 魔獣や魔族を探知する呪具って、そんなもん見たことねぇぞ!?」 代表者ダグレイの言葉に普通の人々の群れが大きく頷く。 「それは当然ですわ。こちらに来てからは初めて合成しましたもの」 「いや、ジルさんが作ったからどう、とかじゃなくって! 俺が言いたいのはだな……!!」 もどかしげなダグレイの言葉をエルディンが継いだ。 「ジルベル。この街は大陸の交易の拠点だ。しかし、世界中の品物が手に入るこの街でも、そのような呪具の存在は聞いたことがない」 「スーニエルって、すごいんですねぇ!」 詰問調のエルディンの前で、エマリーが無邪気にはしゃぐ。 けれど、もっとも端的に事実を語っていた。スーニエル──そのひと言で誰もが納得してしまう。 「そう、ですわね……」 一瞬くもったジルベルの表情をエマリーは見逃さなかった。と、小首をかしげた途端に横から首飾りがひったくられる。 「ちょっと貸してみろよ!」 「あ、ダグったら! 乱暴にしたらダメ……え?」 エマリーから離れた首飾りは、すぐさま色を失った。ブラブラとただの透明な石のついた首飾りが揺れる。 しばし瞬きを繰り返すジルベルに、一同の視線が集まった。 「そ、そう言えば、かなり高度な呪具ですもの。使うには相応の魔力がないといけませんでしたわ」 「じゃあ、俺じゃ使えないだろ。ったく。あ、リッテン。これ使ってくれ。預けるからさ」 ジルベルの弱々しい笑みにダグレイがため息をつく。 すっかり我がもの顔で首飾りを手渡した相手リッテンは、守護騎士隊に所属する魔道師だ。騎士でもあるがゆえに、純粋に魔導を追求するする者に比べれば知識や技術には劣るかもしれない。だが、魔力という点において、決して引けをとるものではないはず、であった。 「エマリーちゃんは、やっぱり思っていたとおり、高い魔力を持っていらっしゃいましたのね」 「あ、ありがとう。ジルさん……」 ジルベルの笑顔は微妙に強張っていた。恐る恐る礼を述べるエマリーの顔も、また。 リッテンと呼ばれた魔道師の肩が小さく震え、光を放たないままの首飾りはそっとダグレイの手に戻された。 嫌な沈黙が漂う守護騎士詰所に、一人の男がタイミングよく飛び込んだ。 「エルディン殿、こちらにおいでか!」 「ここに。どうかなさいましたか?」 「それが、うちの若い連中が……」 初老の頑強そうな男に向かって、エルディンの眉根が寄る。 しばらく小声で話し合った後、男は足早にでて行き、エルディンはジルベルに歩み寄った。 「ジルベル。その呪具、どの程度の魔力があれば使いこなせるのだ?」 「どの位と言われましても……。その、結構な魔力がいるかもしれませんわ」 ようやくその事をジルベルは思い出していた。自分の周りでは使いこなせて当たり前。が、そこにいたのは、スーニエルでも選び抜かれた人間たちばかりであったことを。 「自警団の若い連中が森に入ったそうだ。今度こそ犯人を捕まえてみせると言ってな。団長が彼らを追いかけると言うから、もし向こうの魔導師に使える者がいそうなら貸してやってくれまいか?」 「森に……入った? もう夜ですのに、森に行かれたんですの!?」 「……何かあるのか?」 不審に思いながらも冷静な態度を崩さないエルディン。 反して、ジルベルの方が目をむいた。無言で、ダグレイの手から首飾りを奪う。 「こういう事ですわ!」 ジルベルの指先からぶら下がった首飾りが大きく揺れる。パッと黄緑の光を放ったかと思うと、消えた。 ほとんどが怪訝な顔をする中、一人、もっともジルベルの近くにいたエマリーだけが叫ぶ。 「これって、オレンジ……ううん、朱色っ?」 よく見れば小さな光が確かに灯っていた。 黒から青、緑、黄色を経て……と、先ほどエマリーに説明したジルベルの言葉が全員の脳裏に甦る。 大変な苦労をして捕らえたマティギニスでさえ、多少弱っているとはいえ黄緑の光。 限りなく赤に近いその色に戦慄がよぎる。 たった今までさらけ出していた呆け顔の面々が、騎士の顔つきへと変わった。 「行くぞ」 「はっ!」 エルディンを筆頭に騎士たちが詰所の入り口へと殺到する。 「わたくしも……わたくしも参りますわ!」 ジルベルは叫んでいた。 言いながら、我ながら愚かしいことしている、と思う。 厄介ごとは御免だと心の底から思いながら、何故、自らとび込んで行こうとしているのだろう……。 「駄目だ。その呪具だけを、借りるだけで十分だ」 エルディンがせっかくそう言ってくれているのだ。そうですか、と渡してしまえばいい。後は誰かがどうにかしてくれるはずだ。 けれど。 「もし、どなたもお使いになる事ができなければどうなさいますの? それに使い方を説明している時間だって!」 「仕方があるまい」 「いいえ、エルディン様。この 『 ヴィネの眼 』 があれば、一人も多くの生還が望めますのよ? だったら、使うべきですわ! とり得る最善の策を用いるのが国を守る者の務めでございましょう!?」 口をついて迸り出る言葉の数々に、ジルベル自身が驚いていた。 どうしてこんなに必死になってかつての二の舞を演じようとしているのだろう? ……違う。 本当は恐れながら、だが、こんな日が来るのをどこかで心待ちにしていたのだ。 故郷スーニエルを離れて三年余り。臆病になって言い訳ばかりして逃れられない過去を泳ぎ回っていた自分が、やっと現実に足をつけたような気がしていた。 過去を悔いながら死ぬまで生きるつもりで故郷を捨てた。 それなのに……やっぱり欲しいのだ。今、現実を生きている自分が。未来に繋がる、自分という人間の存在の意味が。 自分のような咎人が未来を願うなど浅ましい……のに、生きていくためは絶望に浸かっていることはできなかった……。 ジルベルはその浅ましい、おこがましい道をとことんまで行く覚悟を決めた。 もう何年も思い煩っていた一つの決断が、こんな時に、こんな場所で、行われたことはジルベル自身滑稽にも思えたが、案外、人生そんなものかもしれないと思い直す。 無関心を装って、良い事も悪い事も未来に望まないことで、自分を罰してきたつもりだった。が、もう、それは止めにしよう。自分はこんなにも世界にかかわりたがっているのだから。 一瞬、身勝手な己自身に笑い出しそうになるのをぐっと堪え、ジルベルは表情を改めた。 断固として一歩も譲らない。……どころか駄目なら勝手について行く。 そんな決意すら見えるジルベルに、エルディンは渋面をつくった。 エルディンが黙り込んでいる間にさっさと騎士たちの列に加わろうとして、膝がガクンと止まる。首飾りの紐をしっかりと握り締めたエマリーが口を尖らしていた。 「あの、エマリーちゃん。その手を放して下さいませんこと?」 「ダメです。だって、コレ、わたしがもらったんですよね?」 「帰って来たらちゃんとさし上げますから。少しの間、貸しておいて下さいな」 「ダメです! だから、わたしも一緒に行きます」 何かの遊びと間違えているのだろうか? 耳を疑い、呆れて言葉を失う。 この街に来て初めて、ジルベルはエマリーに向かって険しい表情を見せた。 「何を仰ってますの? とっても危険なんですのよ?」 「ジルさんだって行こうとしてるじゃないですか! それに、コレ使うだけならわたしでもいいんですよね?」 「エマリーちゃんは、まだ完全に使いこなせませんわ」 「だから、一緒に行きましょう! って譲歩してるんじゃないですか」 騎士たちは思わずコトのなりゆきを見守ってしまった。辛うじて論点のずれた舌戦に参加できたのは、ダグレイだけだった。 「エマリーもジルさんも何言ってるんだっ! どっちも連れてけるわけねぇだろ!!」 「でも、ジルさんは、わたしとダグのためにこんなに一生懸命なんだよ? わたし、それに応えたいよ。……絶対にジルさんと一緒に行く!!」 「わたくしは何もあなた方のためにではなくて……」 自分のために──自身の価値を自分で確かめるために行こうとしてるのだ。 言いかけた言葉は三人の間に割って入ったエルディンの苛立った声にさえぎられる。 「もうよい!」 声を荒げる三人の間に、ピシャリと全てを遮る硬い声が響いた。 エルディンの表情は達観というよりもむしろ諦観に近い。 「ダグレイ。隠れてついて来ようなどと考えられるより、連れて行ったほうが無難だ」 「……しかし。…………分かりました、隊長」 「では、急ぐぞ。協力者の身を守れ。命にかえても必ず、だ」 「はっ!」 いかにも満足げな錬金術師たちを囲み、苦笑を浮かべた騎士たちは詰所を後にした。 間もなく、ルイーダの堅牢な街門は馬と馬車の一団を吐き出し、また堅く閉ざされる。 血生臭さを帯びた祭りの夜は、賑やかに騒々しく、そして唐突に始まったのだった。 | |
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