** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 05
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     この世界が生まれたとき、全てのモノは等しかったという。
     命をもち、力をもち、対話があった。形が違うだけ、ただ、それだけであった。
     ──それは遠い遠い、おとぎ話の世界──  
     もし、それが真実であったのならば……と、ジルベルは手に乗せた結晶石と呼ばれる透明な石に問う。

     何故、世界はかわり果ててしまったのか。
     何故、失っていくことしかできなかったのか。

     無論、応える声などない。
     かつての名残の力だけが残ったその石を、ジルベルは固く手の平の中に包み込む。
     紅い唇から流れ出る歌うようなささやきをこぼせば、握り締めた手の中では熱いような冷たいような不思議な力がこもり始め、ようやく必要なだけの魔力が集まる頃には、びっしょりと汗が吹きだしている。
     手の中に留まりながら出口を求めるように蠢く力。石は確かに硬いのに、まるで液体をわし掴みにしているような……何度やってもその奇妙な感覚には慣れない。
     自らがやっとのことで御している魔力は濁流のようにうねり、少し気を散らせばあっという間に暴走し霧散してしまうだろう。
     おとぎ話と言われるような大昔ならば、これ程の魔力でも容易く制御できる者がざらにいただろう事に今更ながら感嘆をもらさざるを得ない。
     空を飛ぶ。姿を消す。遠い地へと瞬時に移動する。
     そんな魔力を持った人間が確かにいた。もう伝説と呼ばれてしまうほどの過去であれば。

     気の遠くなるほどの歴史という時間の中で、人間はその数を増やし続け、争い続けた。
     争いは重なり、広がり。強さを、力を求める声は高くなる。
     戦いの中、誰かが思った。もっと力があれば……。
     足りない力をおぎなうために、力を持った道具が生まれた。 『 呪具 』 を使い、強い人間はより強くなる。
     やがて、戦いの日々の中、誰もが思った。自分にも力があれば、と。
     時代は一人の英雄ではなく、強力な集団を求めた。
     戦いは戦いを呼び、戦いに赴く者たちが魔道師の数を凌駕していく。
     命が、心が、そして魔力が、すり切れていった。
     荒れ果てた世界に残った人間たちは、失ったモノの多さを嘆いてばかりはいられない。
     生きることだけに励み、消えゆく力を振りかえりはしなかった。
     そうして人は、長い年月をかけて魔力はその力を弱めていったのだ……。
     
     ジルベルは結んでいた手をほどく。魔力は凝縮され確かに石の中に取り込まれたようだ。これで、八割がたは成功したといえるだろう。
     柔らかなクッションのある長椅子にぐったりと身を横たえながら、大きく呼吸を繰り返す。
     数日をかけ、さらに一日数回に分けてみても、この魔力を凝縮する作業は疲れを招く。それ程にこのちっぽけな石に注がれるべき魔力は大量だった。  
     後は正確に整形して、不純物もとり除いて、と工程を指折り数えるうちにまぶたが自然に降りてくる。
     その眠りに落ちようとするその一瞬、夢と現実の間に描き出される忘れ得ない過去の光景。
     ──銀色の凍てついた木々の間、隙間にのぞく天を見上げる沢山の目──
     ──目の前を斬るような風が吹きすさび、そして、舞い降りてくる黒い影──
     ──成すすべもなく途切れていく人々の息づかい──
     ──踏み荒らされ刻一刻と緋に染まりゆく雪の道を駆けながら叫ぶ声──
     
    「力が欲しい! もっと、もっと! もっと!!」  
     ジルベルは目を見開いてはね起きていた。ゾクリと全身が総毛だっている。
     力を求めるその声に、その欲望に。
     唇をかみしめ、自分の身体を抱きしめた。ここ数日まともに睡眠をとっていない体は、心身ともに疲れきっている。
     だが、眠れば必ず今のように目覚めは冷たい汗とともに訪れる。
     眠りが痛かった。
     体の眠りと引き換えに呼び起こされる忌まわしい過去の記憶が、痛かった。
     のろのろと長椅子から身を起こし、再び錬金の術へととりかかる。
     眠りにさえ平安がないのだとすれば、いっそ何かに没頭している方がよほど苦痛が少ないというものだ。
     一時の忘却を求めて、透明な石へと意識を集中させていった。  



     夜が過ぎ陽がのぼり、また夕闇が訪れる。そんな幾つかの日々を 『 呪具 』 の合成に費やした。
     暗い室内に浮かび上がる明かりの中で、澄んだ青い液体が泡だつ。クツクツと揺れる液体の中、透明な正八面体が先ほどから三分の一ほど顔を覗かせながらカタカタと震えている。
     ジルベルはハッとして顔をあげた。すり鉢と格闘して草色に染まった指先で、慌てて火を止める。
     注意深く取り出した物体を入念に水ですすぐと、手の平に転がす。まだ、生温かい。  
    「大丈夫ですわね」  
     眠れない時間の暇つぶしのつもりで始めた薬剤作りに没頭して、あやうく肝心な方の合成に失敗するところだった。
     安堵の溜息をつき、分厚い暗幕のカーテンを開ける。久しぶりに見る太陽は、もう高く昇っていた。
     透かして見ると、透明な正八面体の真中にさらに透明な球体があるのがわかる。澄んだ輝きがジルベルの目をさした。
    「何かの間違いであってくれれば、よろしいんですけど……」
     ジルベルは祈るように呟いたが、残念ながら結果は予想通りでしかなかった。
     透かした角ばった石の中心で、小さいながらも朱色の光が丸く赤々と踊っている。
     その光が示すものは慙愧に堪えない過去の負の遺物に違いない、ジルベルはそう確信する。あの森の中、古木に刻み込まれた生々しい爪痕……そうあれが爪痕だと一目で分かるほど、見慣れたものだ。
     いつの間にか唇をかみ締めながらも、ジルベルは用意しておいた皮紐と針金を手にする。器用に針金を捻れば、今はもう光を失った石は首飾りへと姿を変えていた。
     今、自分が手にしている品は根本的な解決を導くものではなく、一時的な気休めにしか過ぎない。
     けれど、大切な人の身を案じる姿を見て出来ることをしないでいられるほど、エマリーとは浅い付き合いではなく。
     かといって、全面的に表立って何かをしなくてはならないと思うには至っていない。
     ……いや、本当はどうにかしなくてはならない義務を負っている、と責められてもおかしくはない。きっと、ジルベルの過去を知れば、エマリーも……この街の、この国の人々は責めるに違いない。
     けれど、まだ……故郷に置き去りにしてきた過去と対峙する一歩を踏み出すことができずにいた。
     訪れる者の少ない北の果ての大地で起きた、血にまみれた戦いの記憶。一つの国の存亡を賭けた戦い。
     その全てが自ら招いた災厄であったからこそ、誰に助けを乞うこともできずに長く辛い日々が続いた。
    「……『 呪具 』 の暴走です……と言って、信じてもらえますかしら」
     わたくしの予想通りならば、と最後まで無理に自分に繰り返しながら、ジルベルは深いため息をつくのだった。
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