** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 03
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     頑なに沈黙を守り続けるエルディンの頭の中で、消えては浮かぶ黒い影。
     野生の獣など言うに及ばない。たった今戦ったばかりの魔獣。徒党を組んで悪事に手をそめる野盗。遥か伝説の時代から人間とは相容れない、数え切れない魔族たち。各種とり揃ったこれらの外敵から身を守るために、どれ程の苦労がはらわれていることか。
     高い高い街壁を張り巡らせ、外部からの魔力の干渉を避けるために結界を施す。築いた街には自警団を置き、場合によっては街全体でさらに優秀な傭兵を雇ったりもする。
     そうして初めて、このノーティア大陸の人々の生活は守られているのだ。
     街の外、それも自然が豊かであればある程もれなく危険は倍増する。故に街を離れる際には、ごく一般的に護衛を雇いできる限りの集団を形成するものだ。
     そして、ここはユクートの森。 大国フィールデンの王都ルイーダから程近いとは言え、奥地は樹海とも呼ばれる程に鬱蒼としている。
     大の男と言わず、荒ごとを生業とする傭兵や武官たちでさえ、あえて一人でこの森に入るなど考えもしないだろう。
     にも関わらず、危険が待ち構えているこの森に一人でノコノコと足を踏み入れた者がいる。女で、しかも錬金術師であると言うのに。
     錬金術師──もはや人間という種族から失われつつある魔力を駆使し、不可思議な道具を創り出す者。
     例えば、普通ではありえないような威力の爆弾。極めて高い効用を持つ薬。加工できないはずの鉱物の鋳造。さらには街に結界を張るための媒介となる、結界碑も彼らが合成した結界石を必要とした。
     これらの道具を特に『 呪具 』 として区別され、また彼らが創造する過程を『 合成 』と呼ぶ。
     錬金術師の合成する呪具は役に立ち、人の世に受け入れられるモノ。つまり、錬金術師とは世間的に認知された、立派な職業である。
     が。
     薄暗い部屋にこもり、昼となく夜となく繰り返される訳の分からない不気味な作業を研究と称する、青白い顔をした人間。
     それが錬金術師のみならず魔道に関わる者に抱く像であった。恐らくこれは、エルディンも一般の民も、そう変わらない認識だろう。
     魔道に属する者とは、どこか怪しげな印象を抱かせる。
     あるいは自らが失ってしまった魔力という天与の才に対する畏怖と敬遠とが、事実を歪めて見せるのかもしれない。が、あながち間違いという訳でもない。
     魔道という旧い時代の力に魅せられ、世の中の常識から外れ、頑迷であったり偏屈であったりする者も少なくはないからだ。
     エルディンは改めて、目の前の女の姿を確認する。
     一見すると、自分の睨みの前に泣き笑いを浮かべて身を竦めた、ごく普通の女にしか見えない。
     だが、森に一人で入るという暴挙そのものが、まず普通ではない事は確か。
     普通でないどころの騒ぎではなく、かなり普通ではない。いや、とても、おかしい。
     つまるところ、非常におかしな危険人物だな、と国家と国民の平和と秩序の守護神は結論を出した。
    「あの、エルディン様」
     横たわる沈黙の重さに先に音をあげたのはジルベルだった。緊張で乾いた口をどうにか動かし苦労しながらも、できるだけ平然と言葉を続ける。
    「わたくし、急ぎでどうしてもこのカルデュータの実が必要でしたの。それで、ちょっとそこまでのつもりで……」  
     背筋を伝い落ちる冷や汗。ジルベルの足は言いながら一歩、一歩、後ずさっている。
     エルディンの瞳が剣呑な光を帯びた。ジルベルがどうにかとった距離を一歩で詰め寄る。  
    「にしては、大きな容れ物だな」
    「それしか持っておりませんの」
    「ちょっとにしては、随分と奥地まで来ている」
    「ですから、つい夢中で」
    「いずれにせよ、一体、何故、一人で森に来ようなどと考えたのだ?」
    「はぁ……それはその……」
     どうにも言い逃れられる気配がないらしいと悟ると、ジルベルは困ったフリで口をつぐんで苛立ちを隠す。
     大体、危険な目に遭って困るのは自分一人なのだから、放っておいてくればいいものを。
     ……そう、ついつい思ってしまう。
     無論、これは正しくはない。
     通りすがりの旅人ならばいざ知らず、街に家を持ち暮らす者が行方知れずになったとなれば、人手を集めて捜索という騒ぎになる。
     単純に人を捜すという意味合い以上に、その人がいなくなった原因を突き止めねばならないからだ。
     単なる事故なのか、個人の不注意によって引き起こされたものなのか、それとも……何らかの危険が迫っているのか。
     と、頭では理解したつもりでいるジルベルだが、やはり思ってしまうのだ。
     故郷ではこんな風に煩わされることなどなかった、と──。
     視線を地面に、意識を過去にさ迷わせるジルベルの頭上に溜息が降った。  
    「もうよい。とにかく行くぞ」  
     顔をあげたジルベルの目に早足で遠ざかる甲冑の背が映った。慌てて追う。
     しばらくは無言のまま二人は森を行く。
     それなりの重量を抱えているはずのエルディンだが土を踏む音は用心深く慎重で、その後には衣擦れの音が続く。
     足首までを覆うような長いローブをまとっている筈が、見事な裾さばきで足取りは軽く、ジルベルと名乗った女がよほど森歩きに慣れているらしいと察した時、エルディンはふと久しぶりに口を開いた。  
    「何か気付いた事はないか?」  
     唐突すぎる会話の始まりにジルベルは目を瞬かせる。
     前を行く騎士の歩調が緩んだのを見て幻聴ではないと分かると、細い指先をあごにあてた。  
    「何か……と仰いますと?」
    「普段とは違うと、そなたが感じた事だ」
    「そういえば、あまり魔獣を見かけませんでしたわね。いつもに比べて、ですけれど」  
     そう、いつもに比べて、森はやけに静かだった。静かなくせに、不思議なほどの殺気が漂う。
     夜明け辺りから半日近くを森で過ごして、魔獣に遭遇したのは先ほどの一回きりだった。
     その魔獣たちにしても、まるで何かに脅えているかのように息をひそめていたのだ。
     彼ら群れの中に足を踏み入れたのはジルベルのまったくの不注意で、赤い実に目を輝かせていたせいで魔獣の巣に気づかなかったなどとは、とても口にできない。ことに、目の前の厳しい表情をした騎士の前では。
     肩越しに振り返る騎士の些細な変化一つも見逃しそうにない鋭い眼光の前で、できる限り平然と微笑を続ける。
     と、ジルベルの耳に人の声のざわめきが届いた。
     やがて、視界が開ける。森を縦横にはしる無数の道の中で最も広い道に合流したのだ。
     前方にある紺色のかたまりが、守護騎士隊の一団だと分かるのにそれほど苦労はしなかった。  
    「隊長! どちらにいらっしゃって…」  
     集団の中から一人の目ざとい青年が走り寄って来た。……それから、まず、言葉に詰まる。
     甲冑の壮麗たる騎士と朴とつな巨大カゴは、それほどに不似合いだった。
     さらにその長身の陰に見え隠れする白い人影に目を丸くして、ようやく言語をとり戻す。  
    「ジルさん!?」
     青年の驚愕の声に導かれ、他の守護騎士達も視線を向け同じように呆気にとられてしばし行動が停止する。
    「あら、ダグレイさん、こんにちは。それに皆さまもお揃いで」
     エルディンの背後から進み出たジルベルが浮かべた艶然たる微笑に、騎士達の緊張が緩む。顔を赤らめる者、わざとらしく立ち位置を改める者、それぞれに。
     が、それも束の間のことだった。  
    「この者と知り合いか、ダグレイ」  
     厳しい上官の声に、青年はもちろんのこと、全騎士の背筋がピンと弾かれたように伸びる。  
    「は。ここ数ヶ月ほど前から我が隊で使っている薬の類は、ほとんどジルさ…じゃなくて、そちらのジルベル殿が作った物です」  
     隊の関係者と聞いて、エルディンの鋭い視線がチラリとジルベルの顔をかすめた。  
    「そうなのか?」
    「え、ええ。まあ……」  
     何かと忙しく滅多に詰所に立ち寄ることのない隊長様とは面識がなかった。が、その他の騎士らには十分に顔が売れている。あるいは薬の効用よりも、顔の方が先に売れたといっても過言ではない。
     でくわしたのが別の騎士であれば、話はもっと簡単にすんでいたはずだ。
     少なくとも身のすくむ思いはせずに済んだだろうに、と思うと笑顔の裏に小さな舌打ちが響いてしまった。
     ジルベルの心境など知らぬ顔で、エルディンはきびきびと部下達から報告を受ける。  
    「どうだ、何か分かったか?」
    「いえ。松明の燃えた痕跡からして、襲われたのは夜だろうという事ぐらいです」  
     エルディンが一歩踏み出すと、紺色の人垣がそろって道を開ける。
     開けた視界の先に、森を包む静けさと殺気の理由をジルベルは垣間見てしまった。
     雨の降った形跡もないのにぬかるんで黒い土。その周囲の緑の葉に赤茶けた染みが点々と散り、太い樹の幹はべったりと赤黒く塗りたくられている。
     何故、森が封鎖されたのか?
     守護騎士などという大層な者達が派遣されることになったのか?
     あまりにも無惨な光景が、その答え。
     ジルベルの寄せた眉根の視線の先をたどり、騎士達が慌てて視界を遮ってみてももう遅かった。 
    「ジルさん、大丈夫か?」
     こげ茶色の短い髪にちぎれた緑の葉を絡ませた青年の童顔が、心配そうに白い顔を覗き込んだ。  
    「え? 何がですの、ダグレイさん」
    「いや、その、アレ、見ちまっただろ? 気分悪いんじゃねぇかと思って」
    「は? あ、ああ……。そ、そうですわね。びっくりしすぎて麻痺したみたいですわ」
    「そっか。あっち向いてたほうがいいぜ」  
     周囲の騎士達も心底から同情している様子で、ダグレイの言葉にしきりと頷いてみせる。  
    「あっちを向いているどころか、すぐにでも街へ戻りたいところですわ。……カゴさえ返して頂ければ」
     ジルベルの声に、遠ざかっていったエルディンの足が止まった。  
    「まだ、一人でこの森をうろつく気か? 大人しく待っていろ」
    「でも、これ以上エルディン様の手を煩わせるのも申し訳ありませんもの。お先に……」
    「待て」  
     簡素な一言を言い捨て、エルディンは騎士達の輪の中に埋もれていった。
     波が引くように騎士達がその後に連なる。  
    「大人しく従ったほうがいいぞ」  
     素早く耳打ちしダグレイもまた輪に加わった。
     わざわざ集め歩いた素材を人質ならぬ物質にとられては帰るに帰れず、一人とり残されたジルベルはげんなりと道の脇に寄った。
     することも無いままにぼんやりと辺りを映していた瞳が、不意に一点を凝視する。
     おびただしい人血にさえ動じなかった、ジルベルの瞳孔が見開いていた。
     白い指先がかすかに震えながら、一本の大樹へと吸い寄せられていく。樹の肌をえぐり白い内部を生々しく見せる傷痕が、二本平行に間をあけて並んでいたのだ。
     間もなく、虐殺の現場から腰をあげたエルディンは見た。少し離れた道なりの木々の間に立ち尽くしている白い影を。
     先ほどまで徹底して貫いていた笑顔が失せ、銀の瞳が瞬きすら忘れて太い古木へと注がれている。
     やがて、何かを探すように天を仰ぎ、また動きを止めた。  
    「どうした?」
    「エルディン様……」  
     脅かさぬように予め声をかけて近付いたエルディンの黒い双眸が、ジルベルの背後からその視線を追う。
     鮮烈な眩しさに目が細まる。と同時に、今まで誰も気付かなかったその不自然さに思い至った。
     木々の緑がぽっかりと口を開け青い空が見える。陽光がまっすぐに森に注ぎそこだけを明々と照らしているのだ。まるで天井をぶち抜いたかのように。  
    「一体、何がございましたの?」
    「分からん」  
     苦々しく吐き出し、真剣な眼差しで見上げるジルベルを見返した。
     互いに閉ざした口の奥に秘密が見え隠れする。
     エルディンが口を割ったのは、遅かれ早かれ、噂にでも伝え聞くであろうとの判断からであった。  
    「何人もの人間が森に入ったまま戻らず、ついには死体で見つかったという事だけだ。ひどく無残な姿でな」
    「そう……でしたの……」  
     ジルベルの軽く噛んだ唇が紅さを増したように見える。
     だが、エルディンの怪訝そうな視線を感じとると小さく微笑んだ。  
    「それは恐ろしゅうございますわね」  
     言いながら、元居た場所へと引き返してしまった。語るべき言葉はない、と背中に拒絶を示して。
     その白い後ろ姿を凝視するエルディンに、一人の騎士が近寄った。  
    「隊長?」
    「あれは何者だ、ダグレイ?」
    「え? ですから、錬金術師で……」
    「本人からもそう聞いた」
    「ええっと……。薬を専門に扱っていて腕の方は文句なし。ルイーダに来てまだ一年程ですが街でも評判です。さすがは魔道国家スーニエルの出身だと」
    「スーニエル、か」  
     エルディンは記憶の地図を広げる。
     広大なノーティア大陸の北の果て。最も古くから存在する国の一つであるにも関わらず、その多くはいまだ謎に包まれていた。長い間、険しい山脈と極寒を盾に他国からのいかなる干渉をも許さなかった彼の国が、正式に他国との国交を開いたのはまだ十年ほど前のことだ。
     そうやって誰とも交わらず、何にも侵されず、スーニエルは生き永らえた。人類から失われた大いなる宝、魔力を抱えたままに……。
     他を凌ぐ高い魔力、培われてきた圧倒的な知識、他国とは歴然とした魔道師の数。
     諸国は敬意と疑念と畏怖をこめて呼ぶ、『 魔道国家 』 と。
     エルディンの視線の先には、まだジルベルがいた。ポッカリと開けた空をまた見ている。そこに見えぬ何かを見ているかのように、じっと瞳を凝らしていた。
     髪も肌も瞳も、あの色素の薄さは北国出身者特有のもの。恐らく、生粋のスーニエルの民なのであろう。
     魔道を志す者の聖地を捨て、女の身でありながら何故に遠いこの国までやってきたことか。  
    「何か知ってるんでしょうか……?」
    「あるいはな。だが、出身や素姓がどうあれ民間の者を巻きこむ気はない。私は彼女をルイーダまで連れて戻る。引き続き調査を続けてくれ」
    「承知しました」  
     最敬礼をとるダグレイを残し、エルディンは再びあの巨大なカゴを手にする。  
    「行くぞ」
    「え? は、はい」  
     ジルベルはもう一度だけ背後の空を見上げた。降り注ぐ光は明るく暖かいというのに、背には悪寒が走る。
     木々の有様、尋常ならざる惨たらしい死に様。忌まわしく残された過去という記憶の中に、何度も繰り返して同じモノがあった。
     まとわりつくような生温い風になびく髪を払いながら、そっと呟く。  
    「するべきか、せざるべきか……」  
     自分が助言をしなければ増える犠牲。
     すれば、またきっと辛い出来事に関わらざるを得ないであろう自分。
     祖国を離れるという形で、ようやく重すぎる責任の枷を無理やりに振りほどいたのだ。
     出来るなら、関わらずにいられれば良いのだけれど……。
     その願いの身勝手さに自嘲を浮かべながらも、ジルベルは遠ざかった紺の甲冑に向かって駆け出した。
     当面、沈黙を守ることを心に決めて。
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