** ある錬金術師の物語 **
  • 緋の華 02
  • [目次] [前頁] [次頁]

     古来より白い影というものは、人ならぬもの、命なきものを連想させるものだ。
     くすんだ緑が幾重ものグラデーションを織りなす深い森の中では、特にその白さは際立って見える。
     ここはフィールデン王国に広がるユクートの森。
     この森に現れた白い影は人型をしていた。幸い向こうが透けて見えることはなく、身動き一つしないものの確かに息づかいを感じる。生身の人間のようだ。
     造型そのものは、なかなかの美女の部類に入るだろうか。豊かに波打つ髪は腰にまで届き、足元までを覆うローブは見事な女性らしい曲線を描いている。深い知性と意志をうかがわせる目元に、長いまつげが妖しくヴェールをかけていた。
     そして、それら全てが透けそうなほど色のない白だ。白い髪には繊細な細工の施された銀の髪どめ。身にまとった白のローブには蔓草を模した銀糸の刺繍。良質の象牙よりもさらに白い顔にはごく淡い灰色の瞳がとけこんでいる。じっとたたずむ姿は、まさに雪像そのもの。
     くっきりと彫りこまれた顔だちも、着衣の端から覗く首も手も。何もかもが滑らかな雪白の肌の中で、唇に注した紅だけが一際鮮やかに映える。艶やかでいてどこか謎めいた雰囲気を醸しだし、明らかに美人度合いを格上げしていた。
     ところでこの美女、昼間でも薄暗いこんな森の奥地で、何もすき好んで立ち尽くしているわけではない。
     そこは、低い唸り声と荒い息遣いの壁の中。
     彼女──ジルベルという名の女の色味の薄い瞳に映るのは、黒と金の毛皮の獣。一見するとやや大きな狼にも見えるが、人血の色をした眼は魔獣であることを示していた。すなわち、強い魔力を秘めてただの獣の何倍も……あるいは何十倍も手強い。
     見えているのは五匹程だが、とジルベルは目線だけを動かす。 
     必要以上に育っている青々とした低木の隙間から、その何倍もの気配が隠しようもなく漂っていた。  
    「随分とまあ沢山ですこと」  
     気だるげにぼやきはするものの相変わらず武器を構えるわけでもなく、じっと視線をさだめ突っ立ったままだ。そもそも武器らしきものすら持っていない。
     焦れて間合いを詰めてくる一匹にあわせて、隠れていた魔獣達も次々と茂みをかい潜る。
     ゆっくりと一つ瞬きをしたジルベルの紅い唇が弧を描き、微笑の形に結ばれる。指先は胸元で揺れて黒光りする石に添えられた。
     ジルベルが細く息を吸い込む。
     待ちかねたように先頭に立つ魔獣の四肢の筋肉が収縮し、飛びかかる……寸前。突然、背後の藪がぱっくりと割れた。
     思わず肩ごしに視線を向けてしまったジルベルの腕が圧倒的な力で引きずられ、気がつけば視界は鈍く光る紺色の壁で完全に塞がれていた。  
    「え?」
    「下がっていろ」  
     まだ事情を飲み込めないジルベルの耳に男の声が届く。低く静かな、けれどよく通る声だ。
     言い終わると同時に、ひるがえった長い黒髪が男の紺色の広い甲冑の背中におりる。右手に剣を構え、左手はジルベルの前で長く広げまっすぐに立っていた。
     自分が庇われているのだと理解すると、ジルベルは言われた通り二歩ばかり後ずさる。そうして男の長身の全貌がようやく視界におさまった。
     厳めしい紺色と銀の甲冑をまとう者、それは守護騎士隊の他にはなく、肩当に刻まれた白銀の十字は隊長の証。
     つまり目の前の人物こそ、フィールデン王国の守護神と名高い守護騎士隊隊長、エルディン様。
     ……何度見直してみても、間違いなくその人のようだ。
     フィールデン王国最強の部隊を率いる有名人が、どういう訳でこんな所に現われたのか?
     ジルベルが首を傾げている間にも戦闘は始まっていた。
     予定外に飛び込んできた新たな獲物に、さし向けられるのは魔獣たちの敵意の牙。気合のみなぎる唸り声があがり、十分に力を蓄えた四肢が勢いよく地を蹴る。
     が、獲物に喰らいつくことはできなかった。
     いや、むしろ餌食となったと言うべきか。
     磨き上げられた銀の剣尖が斜線を描き、正確に魔獣の首筋を斬りつける。濁った青緑色の血が勢いよく噴き出した。
     今にも飛びかからんとした後続の魔獣の動きが、ぴたりと止まる。獣の本能がそうさせた。
     むき出しの牙が、爪が、澱んだ紫色に変わる。掠りでもすればたちまちこの世に別れを告げる、禍々しい毒の色に。
     ますます憎悪を膨らませながら、襲撃を再開する。
     騎士の長い黒髪がふわりと風をはらんで揺れた。短い絶命の叫び声があがる。地を這ったのはまたしても魔獣の亡骸。
     揺れる、落ちる、 揺れる、倒れる、 揺れる……。
     一匹また一匹と繰り返され、苔むした大地は魔獣の骸で覆われていく。
     同時に三匹が飛びかかってもみたが、風すらも斬りすてるような勢いでなぎ払われてしまう。せっかく整えた毒の武器もお飾りにしかならなかったようだ。
     騎士の方はと言えば、あくまで淡々としていた。
     まるで素振りでもしているかのように、易々と滑らかに繰り出される剣。その切っ先にすい寄せられるようにして、魔獣たちは順番にこの世から旅立って逝く。
     さすがは剣聖と謳われるだけのことはある。結末を迎えるのはもはや時間の問題だろう……。
     そんな事をぼんやりと考えていたジルベルの唇から吐息がこぼれる。腕がたつにも程がありすぎる騎士と遭遇してしまった魔獣たちの不運と、単調すぎる戦いへの退屈をこめて。
     仕方なく退屈しのぎとばかりに、戦いの主導権を握る騎士をしげしげと眺めやった。
     女性にしてはやや高いジルベルより、さらに頭一つは高い背丈。甲冑はいかついのだが、国中で語られる数々の武勇伝のわりには細く見える身体。といっても、華奢や痩身とはまったく違う。一片の無駄もなければ欠けもない。名匠が鍛えた強靭さとしなやかさを兼ね備えた鋼……そんな印象だ。
     と、気が付けば、いつの間にか辺りから唸り声は一掃されていた。残り僅かとなった魔獣は、全滅だけは免れるべく姿を消したようだ。
     風にくすぐられる枝葉のざわめきと、どこか遠い所で鳴く鳥の声が聞こえる。
     森は静寂をとり戻していた。
     しばしの警戒の後、騎士は戦いを終えたばかりの血に汚れた剣を一閃し鞘に収める。積み上がった骸の上に彼ら自身の流した血の雫が新しい染みを付けた。
     騎士がゆっくりとした動きで向きを変えると、ジルベルだけが一方的に見覚えのある顔と目があう。
     少し切れ上がった黒い瞳の、鼻梁の通った秀麗な顔立ち。陽に灼けた肌と、意志と理性をつよく感じさせる形の良い薄い唇とがあいまって、優男とは程遠く精悍さが勝っている。
     そして、戦いの後にしては息も心も乱している様子もなく、騎士はジルベルを見下ろしていた。
     冷静というよりは冷たいと言う方が的確な表情に、あえてジルベルはにっこりと微笑む。  
    「助けて頂いてありがとうございます。あの……守護騎士のエルディン様でございましょう? 噂どおり、お強くていらっしゃいますのね」
     微笑はわざとであっても、ジルベルの声に混じる賞賛の色は嘘ではない。二桁を数える魔獣を平然と退けた剣技には、純粋に感心していたのだ。
     が、騎士の方はせっかくの嫣然たる笑みを無視して一切無言のまま、眉間にくっきりと深いしわを刻んでいる。
     よもや人違いという事はないだろうし、失礼な事も言ったとは思えない。となると、この沈黙をどうするべきか?
     ジルベルが細く長い指先をあごに添えて思案を始めたところで、騎士の唇が動いた。  
    「賛辞はありがたく頂戴しよう。だがまずは、何故、立入禁止の森にいるのか、その説明を賜りたいものだな」
    「立入禁止……でございますか?」
    「知らぬのか? 今朝一番でこの付近の街に通達を出したはずだが?」
    「まあ。わたくし、日の出前にルイーダを出ましたの」
    「入れ違いであったか。無事で何よりであったな」
    「ええ、おかげさまで」  
     ジルベルの作った更に艶やかな笑みを軽く一瞥で受け流し、エルディンはさっと踵を返した。  
    「では、今言ったように森は封鎖されている。早々にお引取り願おう」
    「仕方ありませんわね」  
     深々と溜息をつくジルベルの視線を追ったエルディンは、そこに赤い実の群生を見た。いかにも残念そうなジルベルに小さく咳をはらう。
     はっとしたように愛想笑いをつくり、ジルベルはすぐ傍らの草むらの陰に手を突っ込む。ごそごそと引きずり出されたのは、彼女の腿の辺りまではあろうかという巨大なカゴだった。
     いかにも積んでいる真っ最中と思しき赤い実の他に、枝葉や草の根などが放り込まれ、いかにも重量感があった。  
    「手伝おう」
    「いえ、大丈夫ですわ。これぐらい、いつもの事ですもの」
    「いつも?」
    「あ、いえ。いつもこのぐらいの荷物は自分で運んでいると、そういう事ですわ……」
     ぎこちない愛想笑いで言葉を濁しながら、ジルベルは慌てて身をかがめてカゴを持ち上げる。
     と、すっぽりと顔を覆い隠したカゴがエルディンに無言で取り上げられた。  
    「他の者はどうした?」  
     易々とカゴを抱えるエルディンの隣りで、ジルベルの微笑が引きつる。  
    「そ、それは……」
    「何処ではぐれた?」
    「あ、えーと……」
    「仕方がない。そちらはすぐに配下の者に探させよう」  
     エルディンのそれは提案ではなく、有無を言わさぬ決定であった。スタスタと確かな足取りで歩きだす背中に、ジルベルは慌てて声をかける。  
    「探して頂かなくても結構ですわ!」
    「何故だ?」
    「その……」  
     言いよどむジルベルにエルディンはピタリと足を止めた。大カゴを抱えた身体を斜めにずらして見る。  
    「何故だ?」  
     短く重ねて問いつつとびきりきつい視線を浴びせるエルディンに、ジルベルは努めて明るい声をひねり出した。  
    「わたくし、最初から一人で参りましたの。ですから探して頂く必要はございませんわ」  
     わずかな間にエルディンの形相がみるみると変わる。
     最初驚き、やがて呆れ、ついには完全にはっきりと眉尻を吊り上げていた。  
    「一人だと? この森に一人で来たのか?」
    「え、ええ」  
     容赦のない厳しい眼光と果てしなく凍てついた声色を前に、ジルベルはなんとか微笑をつくる。  
    「お前……一体、何者だ?」
    「た、ただの、錬金術師ですわ」
    「……」  
     消え入りそうな声で──いっそ本当に消え入りたい気持ちで答えたジルベルに、エルディンは沈黙で応えた。
     魔獣の亡骸の絨毯を敷きつめた深い森の中。
     真っ向から対峙する二人の間に、冷たい沈黙だけが流れていく。
    [目次] [前頁] [次頁]