漫棚通信

日本のマンガの棚その42


版型はそろわない

 浦沢直樹「PLUTO」3巻のラストシーンは、プルートゥの登場でしたね。1巻のラストでアトム、2巻でウラン、3巻でプルートゥとくれば、4巻ラストは天馬博士の登場?ということでいかがかしら。

 今回わたしが買ったのは豪華版のほうなのですが、実は、いつも買ってるのは通常版。1巻のオマケの「地上最大のロボット」は当然持っておりますし、2巻オマケのアトムシールって、あんまり欲しくはならないよー。オールカラー版とモノクロ版、みたいに差をつけてくれると迷うんですけどね。

 3巻オマケは浦沢直樹、高校生時代の習作マンガ。これなら豪華版買いましょう。でも版型がそろわなくなるけど、それでいいのか。なーに、かまいません。

 書庫をみわたすと、版型がそろってないのがずらずらありまして、たとえば白土三平「忍者武芸帳」は、新書版のゴールデンコミックス版、貸本に似せたA5の箱入り豪華版、旧小学館文庫版がごっちゃになってます。ま、全巻そろえるのにそれだけ時間がかかったわけですね。

 望月三起也「ワイルド7」は、旧のヒットコミックス版、その新版、徳間から出たササキバラ・ゴウ編集のコンビニ本全巻、実業之日本社の愛蔵版がダブりまくってごちゃごちゃ。

 青柳裕介「鬼やん」は、前衛マンガ家だった青柳裕介にとって初めて一般的人気を得た少年キング連載作品ですが、これも新書版のヒットコミックス版、奇想天外社から出たB5の別冊マンガ奇想天外版、その後のB6の奇想天外コミックス版があります。

 こういうふうに版型を気にしなくなったのは、その昔、B5総集編版で、巨人の星とかあしたのジョーを買ってたなごりですね。

 こういう雑誌形式の総集編は、新書版単行本より先に発行されるのが通例。少しでも早く、そろった形で読めるうえに、お値段がちょっとお安い。カラーページもちょっとあるし、新人作家の短篇漫画なんかがくっついてて、おトク感がありました。

 少年マガジンコミックスと題された「巨人の星(8)」は、B5版の雑誌形式。1968年の初秋特大号、130円でした。内容は飛雄馬が大リーグボール1号を開発しつつあるというころ。巨人の星以外には、ジョージ秋山の短篇「ガイコツくん」など。

 少年マガジンコミックス「あしたのジョー(4)」は1969年12月20日発売130円。長谷川法世「白痴館の亡霊」なんていう短篇が掲載されていました。「あしたのジョー(5)」に掲載されたのは辰巳ヨシヒロ「化けの皮」、さいとうふみやす「ヒットラーは死なない」など。この時期、少年院でのジョーと力石のタタカイのお話のころです。あしたのジョーは、後年に名作と認められたのじゃなくて、このころから大人気だったのですよー。

 「あしたのジョー(23)」は、完結編360ページ一挙掲載!と題されまして、少年マガジンコミックス1973年6月号。ホセとジョーの最後の戦いを収録した最終巻、250円です。もちろんマガジン本誌でも最終回は読んでたのですが、新書版コミックスを待ちきれなくて、このB5総集編を買わずにはいられなかったのが、わかっていただけるでしょうか。

 こういうのを買った後、新書版を買いなおすかというと、コヅカイの少ないコドモはそういうことはしません。版型がそろってなくても、ひととおり読めればいいので、また別のマンガを買いに走るわけです。

 うちにあるジョーは、いまだにこのB5版少年マガジンコミックス版と新書版講談社コミックス版が混在してます。ただし、B5のほうは、紙が悪くて今ではインク(青です)が裏に透けちゃって、読みづらいったらないですが。

 70年代漫画アクションもこのB5総集編をよく出してました。ウチの上村一夫「同棲時代」は全部これです。バロン吉元「柔侠伝」シリーズも、B5総集編版とB6単行本版が交互に。

 こういう習慣がついちゃうと、大島永遠「女子高生」の旧アクションコミックス版、文庫版、アクションコミックス新装版が混在してても、ヘーキ。読めればいいんです。(2006/3/31/金)


別冊太陽 子どもの昭和史

 出張で名古屋に行ったついでに、初めて名古屋のまんだらけをのぞいてきました。物欲を刺激されることハナハダしく、ああ、いかんいかん。自分はコレクターじゃないんだっと、口の中でつぶやきながら書棚をながめていたのですが、買ったのは結局、買いのがしてた「別冊太陽 子どもの昭和史」のうち三冊。

 このシリーズは、わたし、よく参照しますので、コスト・パフォーマンス高し。しかもときどき再版されるから古書価格があまり高くない。

 シリーズは以下のとおりで、今も新刊として買えるものもけっこう多いです。

1)子どもの昭和史 昭和10年〜20年
2)子どもの昭和史 昭和20年〜35年
3)子どもの昭和史 名作コミック集 昭和元年〜20年 
4)子どもの昭和史 昭和35年〜48年
5)子どもの昭和史 少女マンガの世界1 昭和20年〜37年
6)子どもの昭和史 少女マンガの世界2 昭和38年〜64年
7)子どもの昭和史 童謡・唱歌・童画100
8)子どもの昭和史 少年マンガの世界1 昭和20年〜35年
9)子どもの昭和史 少年マンガの世界2 昭和35年〜64年
10)子どもの昭和史 手塚治虫マンガ大全
11)子どもの昭和史 横山光輝マンガ大全
12)子どもの昭和史 おまけとふろく大図鑑
13)子どもの昭和史 新世紀密林大画報
14)子どもの昭和史 ヒーロー・ヒロインの映画史

 うーむ、全部そろえるべきかしら。(2006/3/27/月)


さらに人名のモンダイ

 次は日本人作家名のお話。

 諸星大二郎がモロホシ・ダイジロウであることはすでに周知徹底しているのでしょう。1970年代の単行本奥付からずっと変わらずモロホシであるぞと主張されていました。なんせ強力なライバル、モロボシ・ダンと諸星あたるがいましたからねー。これに対抗するのは大変だ。

 手塚治虫にしてから、最初、小國民新聞で紹介された時は、テヅカ・ハルムシさんでした。ま、これをオサムと読ませるのはちょっと無理なのですが、そこはそれ、巨匠になれば大丈夫。

 田河水泡の本名は高見澤仲太郎。田河水泡をタカミザワと読ませたがっていましたが、だれもそうは読んでくれない。しょうがなくてタガワ・スイホウとなった、という話は有名です。

 マンガ家でありかつ日本アニメーション草創期のひとりであった下川凹天を、シモカワ・オウテンと読むかシモカワ・ヘコテンと読むか。これについては秋田孝宏によって『「コマ」から「フィルム」へ』の中でレポートされています。

 呉智英はクレ・トモフサでもゴチエイでもどっちでもいいことになってるそうですが、これも豪快な話ですなあ。でもさすがに紀伊國屋書店のかな検索では、「ご ちえい」で検索できません。

 ちなみに紀伊国屋書店の検索はかなり昔の本まで表示してくれるので、けっこう重宝してます。でも諸星大二郎の読みはモロホシとモロボシが混在しててダメダメです。ネット上での大きな間違いのひとつが「山岸涼子」さん。検索するときには注意が必要です(正しくは凉子ね)。

 困るのが改名や別名でして、これは冗談じゃないよってくらい多いです。このような「同一作家の別ペンネーム」というページもありますので参照させてもらっています。大御所でも名をなしてから改名する人も多く、上田としこ→上田とし子→上田トシコとか、石森章太郎→石ノ森章太郎、矢代まさこ→睦月とみ、竹宮恵子→竹宮惠子とか。狩撫麻礼にいたっては何が何やら。

 文章中で名前を記載するとき、どの名を使うべきかいつも迷うところであります。(2006/3/24/金)


タイムマシンにおねがい

 木村カエラが参加して再結成したサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」がTVCMで流れてきてニコニコしちゃうわけですが、さて、旧「タイムマシンにおねがい」は1974年の作品でした。

 マンガ方面で1974年はどんな年だったのか。ええ、そうですよ、単なるわたしのノスタルジーですよ。

・ユリ・ゲラー来日。スプーン曲げブーム。わたし自身は、ンなアホな、てな感じで見てました。ヤなガキだね。

・五島勉「ノストラダムスの大予言」ベストセラー。発行は1973年11月。わたし当時から冷笑してました。ヤなガキだね。

・小松左京「日本沈没」、第27回日本推理作家協会賞受賞。映画は1974年のお正月映画で大ヒット。原作読んですっごくこわかったのを覚えてます。

・TVドラマ「傷だらけの天使」放映。ショーケンの真似して生コンビーフを牛乳といっしょに食べてみました。あんまりオイシイものじゃなかった。

・TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」放映。松本零士のマンガ版は冒険王連載。このためにすっごく久しぶりに冒険王買ってました。

・長嶋茂雄、現役引退。ほとんど興味ありませんでした。

 こういう時代ね。

・大島弓子「ミモザ館でつかまえて」で、第2回日本漫画協会優秀賞受賞。大島弓子は最初マーガレットの人でしたが、途中から少女コミックその他の人となりました。いずれにしても、多くの作品が朝日ソノラマから刊行されたというのが、時代ですなあ。

・萩尾望都「トーマの心臓」、少女コミックに連載。さすがに雑誌では連続しては読んでません。

・一条ゆかり「デザイナー」、りぼんに連載。この時期わたしはりぼんにハマってまして、これは雑誌で読んでました。

・陸奥A子「たそがれ時に見つけたの」、りぼんに掲載。これも雑誌で読みました。

 いよいよ少女マンガがメジャーになりつつあるとき。

・手塚治虫、少年マガジンと和解。「おけさのひょう六」掲載、続いて「三つ目がとおる」連載。マガジンが突然、手塚治虫を特集し始めました。チャンピオンでブラック・ジャックがヒットしてたから、別に不思議には思いませんでしたが。

・山上たつひこ「がきデカ」、少年チャンピオンに連載開始。

・池上遼一、雁屋哲「男組」、少年サンデーに連載開始。映画「燃えよドラゴン」は前年の公開です。日本中(もしかすると世界中)のバカがヌンチャクを自分の頭にあててていた時期であります。ちなみに、梶原一騎/つのだじろうの「虹を呼ぶ拳」の冒険王連載開始が1969年、マガジンの「空手バカ一代」の連載開始が1971年。1973年末には作画が影丸譲也に変更されていました。

・小学館、「少年サンデーコミックス」というレーベルでマンガ単行本刊行開始。それまで存在しなかったのが不思議でしょ。これで、各社が自社雑誌に連載したマンガを単行本化する体制が整いました。

 チャンピオン黄金時代はもうすぐ、といった感じ。あと、わたしの好みとしては下記のようなものもありました。

・諸星大二郎「生物都市」で手塚賞受賞。
・いしいひさいち「Oh!バイトくん」同人誌版の刊行開始。
・小野耕世「バットマンになりたい」刊行。
・ジェラール・ブランシャール「劇画の歴史」刊行。(2006/3/17/金)


マンガ「姿三四郎」

 マンガとは無関係の本のつもりで読んでたらマンガの話も出てきて、ちょっと得した気分。

 よしだまさし「姿三四郎と富田常雄」という本が出版されてます。1942年から1945年という戦争中に書かれ、大ヒットした「姿三四郎」の作者、富田常雄の評伝です。

 誰もが知ってるはずの「姿三四郎」ですが、さて、小説版をホントに読んだことのある人がどれくらいいるのか。クロサワ映画で知ってたり、TVやマンガで知ってたり。あるいは、姿三四郎から影響を受けたいろんな作品を見て、読んだつもりになってたり。実はわたしも、最初の姿三四郎体験は竹脇無我主演のTVドラマ(1970年)で、原作読んでません。

 誰もが知ってて実は知らない作品と作者を教えてくれる好著です。黒澤明は「姿三四郎」の内容も読まず、広告だけで映画化を決めた、とか、富田常雄の後年の作品に、三四郎がいつも特別出演してた、とか、けっこう意外。

 で、この本にちょっとだけ出てくる「姿三四郎」のマンガ化作品の話。

(1)富永一朗:きんらん社1954年〜1955年、タイトルは「少年姿三四郎」、少なくとも5巻発行。

 作者が富永一朗というのに腰が抜けますが、1954年東映での映画化作品「少年姿三四郎」とのタイアップらしい。

(2)奥田邦夫:少年画報1970年4号〜8号連載

 竹脇無我主演TVドラマとのタイアップ企画。この時期は少年画報としては末期で、月刊じゃなくて隔週刊になってます。

(3)みなもと太郎:週刊少年マガジン1972年連載

 三四郎はホモホモ7キャラらしいです。

(4)本宮ひろ志:週刊少年マガジン1976年〜1977年連載

 姿三四郎は本宮ひろ志で知ってる、というひとも多いらしい。

(5)真船一雄:週刊少年マガジン2002年連載、タイトルは「風の柔士」。

 主人公は三四郎の師匠の矢野正五郎。短期で連載終了しましたから、もし人気があって続いていれば、本宮版と同じようにあとから三四郎が登場する予定だったのでしょう。

 姿三四郎は少年マガジンと相性がいいみたいです。姿三四郎って、もちろん柔道家なんですが、空手家、ボクサー、レスラー、相撲取り、忍者などを相手につぎつぎと異種格闘技戦を繰り広げていたらしい。まるで梶原一騎みたい。

かくして、三四郎の闘いは、まるで「少年ジャンプ」の週刊連載マンガのように、どんどんテンションをあげていく。そしてついには、半人半獣の化け物、妖怪のような蜘蛛男まで登場して三四郎の前に立ちふさがるのだ。まるで、夢枕獏の描く伝奇格闘小説のような世界が、この時点ですでに描かれていたのである。

 これは面白そう、読んでみたくなるなあ。(2006/3/15/水)


W3事件再掲

 W3事件の基礎文献として、以下のものがあります。

(1)手塚治虫自身の証言:ボクのまんが記〜「W3」の巻〜:「鉄腕アトムクラブ」1965年9月号掲載→「少年マガジン版W3」(1997年)に転載

(2)少年マガジン側の証言
(2〜1)内田勝:「『奇』の発想」(1998年)
(2〜2〜1)宮原照夫:「ボクのまんが記〜「W3」の巻〜」を受けて:「少年マガジン版W3」(1997年)
(2〜2〜2)宮原照夫:神様の伴走者〜手塚番〜第5回神様の夢を叶えた男:「ビッグコミック1」2004年10月1日号

(3)虫プロ側の証言
(3〜1)山本暎一:「虫プロ興亡記 安仁明太の青春」(1989年)
(3〜2)豊田有恒:「日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム」(2000年)

(4)少年サンデー側の証言
なし?

 上記より事件を時系列に記述してみます。

■1963年末:虫プロでアニメ「ナンバー7」の企画始まる。当初は初のカラー・TVアニメの予定だった。チーフは坂本雄作。

 「ナンバー7」は1961年から「日の丸」で連載された手塚作品。坂本雄作は東映動画出身で、初期虫プロの中心人物。アトムのTVアニメ化を最初に提案したのは、どうもこの人らしい。最近なら、アニメ「ガラスの仮面」監督をやってます。

■1964年?月:東映の「レインボー作戦」(=「レインボー戦隊ロビン」?)と企画がかぶる。さらに放射能による突然変異ネタを避ける必要があった。このため「ナンバー7」の企画変更。宇宙もの+スパイものとなり、宇宙リス・ボッコがマスコットキャラとして登場することになる。

 「レインボー作戦」と書いたのは1965年9月の手塚です。「レインボー作戦」が「レインボー戦隊ロビン」のことだとすると、企画に関しては東映の、というよりスタジオ・ゼロの、と言うべきでしょう。石森章太郎、藤子不二雄らがスタジオ・ゼロを創立したのが1963年6月。1964年にはすでに企画ができていたかもしれません。実際に放映開始されたのは1966年4月でした。「ナンバー7」も「レインボー戦隊ロビン」も、ともに集団ヒーローもの、戦隊ものでしたから、確かに企画がかぶってると言えますね。

■1964年?月:少年マガジン1965年6号から「ナンバー7」の連載決定。

■1964年?月:TBSアニメ「宇宙少年ソラン」の企画に宇宙リス・チャッピーが登場することがわかる。アイデアがもれたとして、犯人探し。当時虫プロ脚本家の豊田有恒は、手塚に疑われたのに怒って退社してしまう。

■1964年12月:「ナンバー7」の企画を中心になって進めていた坂本雄作が降板。同時に「ナンバー7」の企画中止。

■1964年12月31日:手塚治虫が描いた、少年マガジン1965年6号からの新連載「ナンバー7」の予告ページが入稿される。

■1965年1月4日:虫プロで会議。以下のことが決定される。手塚作品「W3」をアニメ化することにする。チーフディレクターは手塚。

 ここで、初めて「W3(ワンダー・スリー)」というタイトルが登場します。

■1965年1月5日:上記の翌日、正月の仕事始めの日。手塚からマガジン編集部にクレームの電話。(1)「ソラン」は「ナンバー7」の宇宙リスを盗作した。(2)「ソラン」はマガジンでの連載が決まっている。(3)宇宙リスのアイデアがマガジンからTBSに漏れたのじゃないか。(4)「ナンバー7」はアニメもマンガも中止する。

 12月中に「ナンバー7」中止が決まっていたのに、12月末にマガジンの予告用原稿を描くというのが奇妙。さらに1月4日の会議の翌日に、宇宙リスの件でマガジンにクレームをいれるのがまたヘンな行動です。

 しかし、一応編集部から説得され、手塚はマガジンで「ナンバー7」にかわる連載を始めることになります。

■1965年1月末:アニメ「W3」のテスト版が完成。マガジンでの連載も決定。

■1965年3月:少年マガジンに「W3」連載開始(1965年13号=3月21日号、発売は3月10日)。

■1965年4月:連載5回目ごろ、「宇宙少年ソラン」の予告がマガジンに掲載。手塚からマガジン編集部に再度クレーム。「ソラン」と「W3」を同じ雑誌には載せられない。「宇宙少年ソラン」のマガジン掲載をやめるように。「ソラン」を取るか「W3」を取るか、と迫る。

 宇宙リスのアイデア流出に少年マガジンが関与していないことは、手塚もすでに納得済みのはずだったのですから、この再度のクレームはムチャです。ソランの連載開始はアニメ放映開始に合わせて4月末の発売号から。このタイミングでマガジン編集部が手塚の要望を受け入れることはほとんど不可能でしょう。

■1965年18号=4月25日号の少年マガジンをもって、「W3」は第6回で連載中断、終了。

■1965年5月9日号の少年マガジンで宮腰義勝「宇宙少年ソラン」連載開始。

 宮腰義勝は手塚治虫の元・アシスタントでもありました。手塚が自分の作品に宮腰義勝タッチのキャラクターを登場させる遊びをしたのは、どの作品だったでしょうか。

■1965年5月4日:TBSでアニメ「宇宙少年ソラン」放映開始。(火曜日午後7時)

■1965年5月30日号の少年サンデーで「W3」の連載開始。

 前代未聞の雑誌引越しでした。わたしゃびっくりしましたよ。あれ?あれ?あれ?と思いましたもの。マガジン版と大きく変わったのは、主人公のデザインと宇宙人の名前(だけ)。その他、宇宙人、ロケットやロボット、主人公の兄やそのスパイ組織のデザインはまるきり同じでした。

■1965年6月6日:フジテレビでアニメ「W3」放映開始。(日曜日午後7時)

 ちなみに、この半年後、1966年1月2日(日曜日午後7時)からTBSで「ウルトラQ」が放映開始されます。これはちょうど「W3」の裏番組で、この強力で斬新な怪獣番組は「W3」を圧倒します。そのためなのか、「W3」の放映時間帯は1966年2月から月曜日7時30分に変更されることになります。(2006/3/13/月)


解体されるマンガ:冬野さほの場合

 冬野さほ「ポケットの中の君」を読んでから、彼女のことが気になってしょうがない状態になってしまい、今手に入る「ツインクル twinkle」「まよなか midnight」も買ってしまいました。

 1993年「ポケットの中の君」が、あくまで「マーガレット・コミックス」というパッケージで発売され、少女マンガの形態をとどめたままでマンガの最前衛に位置していたのに対し、次作の1997年「ツインクル twinkle」になると、マンガという形式の解体がはじまっています。そして2003年「まよなか midnight」になると、すでにマンガではなくなっている。

 「ポケットの中の君」でもそうでしたが、著者によるマンガの解体は、まず、フキダシと絵との分離から始まっています。著者が多数のフキダシをあえて誰がしゃべっているかわからないように、そのあたりに浮かべる。しかも人物はコマ内に同時に複数存在し、しかもコチラを向いていない。結果、読者は雑然とした画面内でザワザワとした会話を聞くことになります。

 結果、誰が何をしゃべっているかきわめてわかりにくい効果が生まれ、作品は叙事より叙情に向かいます。

 続いてコマが解体されます。コマの連続による時間的な流れが消失するようになり、それぞれのコマは時間的な前後がなくなります。さらにコマはセリフを囲むフキダシの代わりにすぎないようになり、ついには単に絵を意味なく分割するものと化します。

 コマは時間的空間的区切りを表現するという本来の意味を失い、コマの内部で時間が経過し物語が進行するようになる。全体ではコマがいくつか存在するという意味で、かろうじてマンガといえなくもない、という状態です。

 同時に、著者はやたらにうまいデッサン力のある絵を封印します。キャラは子供が描いたようにつたなく描かれ、透視図法は捨てられます。そして当然のようにフキダシが消失。文字はそのあたりの宙をただようように。

 最終的に、コマがなく、フキダシがなく、透視図法がなく、キャラと背景と言葉が無秩序にならべられるようになり、この状態で物語が語られます。これは子供の落書きに限りなく近くなる。

 冬野さほにより前衛はつきつめられ、マンガは解体され、絵本、あるいは子供の落書きのようなものに先祖がえりします。「ポケットの中の君」「ツインクル twinkle」「まよなか midnight」を順に読むと、マンガの歴史を逆回転させているかのごとく概観することができるのです。(2006/3/10/金)