写真の説明:
写真番号:001 「ウティカの遺跡」
BC1000 頃から活躍していた地中海貿易に活発だった航海民族
フェニキア人が築いた都市。構築当初は海岸沿いだったのが
近くを流れる川による土砂堆積で今では海岸線から12キロくらい
離れて位置する。魚類を描いた見事なモザイクの床が残っている。
写真番号:002 「バルドー美術館のモザイク壁画」
モザイクのコレクションとしては世界一といわれている。
主にローマ時代、ビザンチン時代のモザイクが展示されており
写真はその一つで、緻密に構成されたモザイクは見事である。
写真番号:003 「ザグーンアンの水道橋」
AD100 代に造られた全長130kを超えるローマ水道橋。
極めて緩やかな傾斜が与えられているそうだが当時の高度な測量技術
には驚く。
写真番号:004 「カイラワンのシディ・サハブ霊廟」
7世紀頃に建てられてもの。
アラブ様式の緻密な壁模様が美しい。グラナダ(スペイン)の
アルハンブラ宮殿の様式に良く似ている。
写真番号:005 「カイラワンのグランモスク」
640年建築のマグレブ最古のモスク。広い中庭は中心に向って傾斜
するように大理石が敷きつめられており地下の水槽に雨水を蓄える
仕組みになっている。
写真番号:006 「スベイトラ遺跡」
7世紀に造られたチュニジアではもっとも新しいローマ遺跡。
大浴場、大劇場、神殿や上下水道などインフラの整った遺跡。
写真番号:007 「アルジェリアとの国境」
国境の監視所。陸路アルジェに入ることは大変なようだ。
写真番号:008 「ミデス村跡」
サハラに近くなると天気予報が不要なくらい雨は降らないが
数年前突如襲った大洪水でこの村は壊滅した。今は日干し煉瓦
の廃墟がそのまま残っている。
写真番号:009 「塩湖のトイレ」
サハラの北側には広大な塩湖、ジェリド湖がある。
一軒の形だけの土産屋があるだけだが、強烈な太陽の下に
あったトイレが印象的だった。
写真番号:010 「駱駝に乗ってのサハラ散策」
180円の貸衣装を着てらくだに乗ったが
けっして乗り心地は
良くなかった。サハラの砂は微細でさらさら。歩くとずぶずぶと
足が沈む。ちょっとでも風が吹くと口の中までじゃりじゃり。
カメラはセロテープで隙間をふさぎビニール袋をかぶせて砂塵が
入るのを防いだ。
写真番号:011 「砂漠の村」
山や砂漠を越えると日干し煉瓦で造られた村が見られる。
写真番号:012 「円形闘技場」
エル・ジェムの円形闘技場。ローマのコロッセオと同じ構造。
230年頃のもので約3万人が収容でき、今でも夏には
フェスティバルが開かれるようだ。
写真番号:013 「フェニキア人の都市跡」
チュニジア北東端ボン岬のケルクアンにあるBC6世紀ころの
カルタゴの遺跡。
地中海に面した緻密な都市遺跡である。1952年に発見されるまでその
存在さえ忘れられていた。
写真番号:014/015/016/017 「ヌミディア王国の地下住居跡」
チュニジア北西部のアリジェリアとの国境付近のブラ・レジアに
あるヌミディア王国首都の遺跡。地震により地上の建造物が壊れ
残っているのは大半が地下の部分
写真番号:014 遺跡の一部を見渡す
写真番号:015 地下居室。床にはモザイク画が見える
写真番号:016 地下居室。床にはモザイク画が見える
写真番号:017 地下居室の床に残された緻密なモザイク画
写真番号:018/019/020/021「ドゥッガの遺跡」
チュニジア最大のローマ遺跡。4世紀に繁栄を極め当時は
一万人を越える人が住んでいたという。アフリカ最大の
ローマ遺跡として世界遺産に指定されている。
写真番号:018 公衆トイレ
写真番号:019 遺跡の一部を見渡す
写真番号:020 神殿
写真番号:021 神殿
写真番号:022/023 「カルタゴの遺跡」
チュニス郊外のカルタゴにはローマ時代、カルタゴ時代の
遺跡が広範囲にわたって残っている。
写真番号:022 今も発掘が進められている
写真番号:023 古代カルタゴの港に残っている船渠のあと
写真番号:024 「アントニヌスの浴場跡」
日本人同様古代ローマ人は風呂が大好きだったらしい。
古代ローマ遺跡には必ず浴場が残されている。サウナまで
付いている。
この浴場は2世紀、地中海を一望できるところに建設された
広大な公共浴場。
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文と写真 T MIKAMI
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