昭和三年
入所 昭和一八年年・大島青松園
吉田美枝子
水面に泛びしごとき目覚めにて鮮しき思ひに林檎食みいる
ストーブの内に華やぐ焔みつ吾が生涯になかりしものを
白き足袋白く洗いて単純に今あることをよろこぶべきか
炎ともなりきれぬもの砂浜の黒き芥を潮浸し来る
いちいちを告げねば秘むるさまに似つ風花は青き空より舞へり
長雨に崩れし崖に笹の根の無数の白が生なまし今朝
きしきしと硝子を磨き腕も首も痛き夕べよ灯が映えてをり
言ひつのりゆけばゆくほどしらじらと言葉は渇き春の夜は更く
ものぐさに一日を過ごし夕ずけば冷たく光る海を見に出づ
疎外感といふにはあらず八丁余の海が隔つる生をさびしむ
海峡は絶え間なく渦を生みつつわれの一生を劃りて流る
自らのうちに満ちくるものを吐く烈しさに似て緋の牡丹咲く
唐獅子の台に刻むと緋牡丹を描きゆし父紅を溶きし母
海のほか心遊ばすところなしその海に立つ海苔ひびの林
つづまりは何の役にも立たぬわれ母乗せし船の水脈を見てをり
花でなくなりし向日葵黒く立つ次第に野分け募りくる中
人生を狂はせしライの発病の記録とられを虫鳴く昼を
平安に訪れて来し夜ながらヒヤシンスの白き花は眠らず
菊の香をまとひて漆喰の闇に佇つ菊人形思ふ夜半に目覚めて
時雨去り涙のごとき跡のこる硝子戸に淡く冬の陽滲む
春の夜の沖合い過ぎてゆく船の微動金魚の鉢に伝はる
仕合せを考へぬ齢になりしかと冬ばら紅くかじかむを見つ
海に対くこころ流人のこころとも砂踏みしめて渚を歩む
風寒く吹く海のうへ鳶は舞ひその輪の中の冬空光る
かなぶんの落ちて畳に裏返る夜のむし暑さ絶へ難きとき