大正五年〜昭和三二年
入所 昭和一六年・大島青松園
谷脇 徹
不自由舎は十坪が程の庭ありて槿に雨のしみじみと降る
おのれすら恃みがたなき日のありて冷たき草にばったを捕ふ
作文に滲める児らの郷愁の思い美しければたじろぐ
弟の就職の便り読みいつつ想いに浮かぶ兄我の位置
癩園の悲しき面はカットされ凡そ美しき録音放送
癩の位置高めむとする闘争に最小限の煽動もやりき
ささやかな倖せひとつ得むとして数通の願書に吾は署名す
軍服を改造したるジャンパーをいつまでも着ている仕方なければ
灯の下に蟷螂の態を真似てみき蟷螂に似たる我が細き影
軽傷の人の死はいたく同情さる吾は疎まれて生きをるならむか
嫁ぎゆく汝の心に悲しみのしこりとなりて吾が名はあらむ
らい予防法改悪反対の抗議文に今はばからず本名を書く
らいの身の悲しき今の意思表示プラカードの絵の具に服汚しつつ
団体交渉終わりて暗き段くだるそれぞれ弱き独りとなりて
最も低き位置にいて我等手を繋ぐらいの組織をはや「赤」と言ふ
菊は菊の匂いを放つ平凡が朝の心を静かに占むる
らい園に来る新聞にはさみあるチラシの類は鼻かみになる
宗教をもたざれば葬式にこまるとか入園したる日に聞かされき
病重くなりたるのちの吾を知らぬ母と思ひて気を強く持つ
八人の子を産み育て頬そげし母の写真は誰にも見せず
命果てし友の遺品を部屋いっぱいに拡げて吾ら籤引きにする
熱に臥す窓より電柱の先が見え赤き硝子が毒茸に似る
穴出でし頭の太き蟻一つ首かしげいしが引き返したり
水溜りまたがむとして吾が影が雲の下にて伸び縮みする
銀杏葉の散らねばならぬ如く散るさまを見てをりベットに寝ねて
見送らるる側に立つ日のなき吾か渚のくらげを海に蹴りこむ
公約といふ嘘ばかり聞かされて冷えたる吾はテレビ室出づ
らい園に漢方薬を売りに来る間抜けもをりてむし暑き午後
陽の射さぬ倉庫の裏に伸びながら蔓草の先は空向きている
私は病人ですと切札のごとき言葉を用意している