磯野さんと里帰り

磯野さん 里帰りせえへんで」 「里帰りかー」 「磯野さんが私によく聞かしてくれるあの同級生に会いに行こう」 「あー彼奴かー」 磯野さんが私にときどき故郷の話をしてくれる時にはかならずと言っていいくらいに彼の同級生の話が出て来る。「学校の帰りによく泣かしたナー」 と照れくさげに話す。磯野さんが昭和十七年の夏、ここ大島の少年舎に小学校の五年生で入所して、一ヶ月もしない時に彼の同級生から手紙が来たそうである。嬉しかったと磯野さんはよく話してくれる。磯野さんが少年時代にヤンチャであった事は、間違いのない事であると私は確信している、今の彼の明るい性格や盲人会の役職をこなす行動力を知っているから凡そ想像がつく。泣かした後で「ゴメンナ ゴメンナ」平謝りしている小学生の磯野さんの姿が私の目に浮かぶ。

月に一度か二度逢うたびに里帰りしよう。同級生に会いに行こうと誘いつずけて漸く半年も過ぎた四月の始め、夜中の九時ごろに一生懸命に誘ってくれるから「返ろうと思うけど今月の二十八日の土曜日はどうだろうか」と電話があった。私は即座に「いいよ」と言葉を返した。電話を切った後胸の動悸が高まるのを私は抑える事が出来なかった。磯野さんがどのような思いで電話をしてきたかと思うと、床についてもなかなか寝付かれなかった。この半年の間、磯野さんの胸の内ではいろんな葛藤があったであろうと思った。それは返ると決め電話して来た後もつずいていた事は間違いない。


四月二十八日朝の八時 磯野さんは付き添いをしてくれる介護婦の山田さんに手をとられ、今日の里帰りに同行してもらえる事になった職員の、楠美さんや泊さんを伴い船を降りてきた。私は普段着であったが、磯野さんは綺麗に調髪し特別の正装であった。園ではいつもジャージー姿しか見ていなかったので、私は磯野さんの決断と心意気を垣間見た気がした。

天気は磯野さんの里帰りを祝福するかのように爽やかな朝で、私たち五人は今日の天候を心配する事もなく庵治の専用岸壁から、磯野さんの故郷西条へと向かった。「昨夜ナ 電話帳から同級生の名前を捜して貰い思いきって電話して見たんよ。そしたら彼奴、話の途中で俺を思い出して呉れて、自分に電話を呉れた事に驚いていたワ」と嬉しそうに磯野さんが話し始めた。

御互いに七十を目の前にして、同級生は自分が随分と歳を重ねた事などを話したが、俺もそれに負けないくらい歳をとった、と言ってやったと笑った。明日西条を訪ねるからと伝えたら、同級生の二三人に電話して見ると言ってくれたが逢えるかなーと磯野さんは期待と不安が入り混じった表情をした。

庵治から高松の浜街道を抜けて私達は高松西から高速道にあがった。四国もようやく本州並に高速を利用できるようになった。二時間もかからずに目的地に付けるはずである。
inoti44
次へ