三十年前自分がらい病で大島へ入所している事が表沙汰になり妹の縁談が壊れた。と言う事を実家から聞かされ、その時家族の縁を切った。何の屈託もなさそうに話されるがここまでの境地になるには多くの時間を必要とされたことは間違いない。私には縁を切ると言う事が具体的にはどのような事か分からぬが、自分の生まれ育ちを一切他人に知らせないという事、はっきりと言えば 己の存在全てを否定することであろう。そのようにして生きてここまで来たのだから「最後まで私は帰らない」そう言って顔を伏せられた。
大島へ行くたびに逢い、又それを楽しみにしていたが、始めて逢って半年も過ぎたころから姿が見えなくなり、来月は逢えるかなと楽しみに訪問していたがとうとう逢えず仕舞いになった。そうなんだ。この人に限らず何人もの人達がわたしとの短い語らいのなかで、自分を殺し、ただひたすらに家族のため、親族のために己の存在を否定しながら、それこそ煙のように 煙のように消えていかれた。私との語らいの万倍の喜びをもつ家族、親族との語らいは、何億秒の中の数十秒でも家族は許さないのかと私は憤る。家族も偏見差別に苦しんでいるというが、百万の偏見差別があろうとも、家族の一人でもよいから心底頑張ったナと抱きしめてくれれば、元患者の永い永い苦難と屈辱の人生がどれだけ癒される事かと訪問する度に思った。
多くの若者達が療養所を訪れ、元患者の人達と交流をふかめている。世間は今時の若者はと、なにかあれば口煩いが何年も前から療養所を訪れ、元患者を激励しつずけている多くの若者がいる事を忘れてはなるまい。彼らは元患者さん達に同情や情けの気持だけでなく真に苦難の人生を歩ききった人達に対し尊敬と敬愛の気持で接している。彼らも始めは元患者さん達の後遺症に些かの驚きと戸惑いもあったろう。しかし交流を深めていく過程でその後遺症は、元患者さん達の命を賭けた闘いの証しと見えているのではないだろうか。後遺症を見れば苦難の人生が分かるが、私は元患者さん達が持っていた、己を殺しひたすらに家族や親族を思う優しさをこのホームページをとおして少しでも伝えていければと思っている。